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浮遊するマイルス

ドラムがすり減り、ブレーキを踏み込めば異音を発するワンボックスの車内は、今思えば相当に騒々そうぞうしかったはずだ。
そうしたノイズは記憶の中からきれいに消えてしまい、『バグス・グルーヴ』の鮮明な響きだけが浮かび上がってくる。それは字義通じぎどおり、浮遊感と形容したくなるものだった。

夜の国道16号線を、きの悪くなったブレーキ節約のため、ひたすらノンストップで走り続けるすべを編み出していった。そのため信号機から次の信号機までの間を何キロで進めばいいか、経験値からわかるようになっていく。

やみくもにスピードを上げ追い越し車線を走り抜ける車両が、その先の信号で赤になって停まっている。それをちょうど青になるタイミングで、減速せずに左から追い抜いていく瞬間が小気味好こきみいい。
もちろんすぐに追い抜かれるが、次の信号機で同じように抜き返す。ところが場所によっては、加速することでギリギリ青で走り抜けられるコースが現れる。ここでアクセルを踏み込み、駆け抜けたりするのだ。
結果としてオンボロ軽自動車に翻弄ほんろうされるドライバーの気分は、いかばかりだったろう。こちらからすれば挑発しているわけでなく、安全運転を心掛けた結果に過ぎないのだが。

何をバカなことをと思われるだろうが、当時は長い移動時間の「ゲーム」として楽しんでいた。持たざる者はそれなりに、通常と違う楽しみ方が可能なのである。

当時は気にもかけなかったが、『バグス・グルーヴ』の面子めんつは変わっている。
ミルト・ジャクソン (ヴィブラフォン)とパーシー・ヒース(ベース)はMJQ (Modern Jazz Quartet)のメンバーなのにジョン・ルイス(ピアノ)が参加していない。当時のマイルスはこの2名を何度か起用しているが、なぜかジョン・ルイスは外れている。音楽性の違いからなんだろうか。

代わって「変な人」セロニアス・モンク がピアノを弾いている。こちらはマイルスの意向というより、プレスティッジ・レーベルのプロデューサーによる人選らしい。ボブ・ワインストック、あなたは偉かった。

1954年12月24日。スタジオに入るなり、マイルスはモンクに向かって突然こういい放つ。「オレのソロの時は、バックでピアノを弾くな」
初っ端しょっぱなから”文句”をつけられたモンクは、マイルスのバックでピアノを弾かないどころか、曲によっては自分のソロさえも途中で放棄してしまった。

その逸話から僕が聴いていた80年代、このアルバムは「クリスマス・ケンカ・セッション」として紹介されていた。殴り合いに発展したとまで書いた評論家も、いたように記憶している。ネットのない時代とはいえ、ずいぶん話を盛ったもんである。

マイルス自身は自伝の中で、この「ケンカ」を否定している。
「モンクのピアノはトランペットのバックには合わないと思ったから、休んでいてくれといっただけだ。モンクもオレの意図はよくわかっていたはずで、そもそもあんなでかくて強い奴に、オレみたいなチビがケンカを売るわけないだろ」

『バグス・グルーヴ(Bags' Groove)』のBagsはミルト・ジャクソンのあだ名で、目の下のくまのことだ。
ミルトが作ったこの曲は1952年4月7日ブルーノート・レコードに、ミルト・ジャクソン・クインテットによって初録音されている。

原曲を聴けば、マイルスの『バグス・グルーヴ』がいかに異質な響きであるかがわかる。
ミルト・ジャクソンの演奏は地に足のついたジャズであり、特に初期のヴァイブは妖刀村雨むらさめ、「抜けば玉散る氷のやいば」の切れ味である。”普通”にスゲー演奏だ。

1954年の録音は同じミルトが加わりながら、メンバーやアレンジを超えて質じたいが変容している。個人個人というよりも、音そのものが重力から少しだけ解放されたような、「軽み」を感じるのだ。

足は地を離れ浮き上がりながら、いつしか時間軸や方向性を見失う。当時の僕が『バグス・グルーヴ』を繰り返し聴けたのは、この不思議な浮遊感からであり、フロントガラスを移ろう景観の、BGMのように響いていたからかもしれない。

同じような無重力の感覚は、グレン・グールドの弾くモーツァルト『トルコ行進曲』にもあった。
彼らの演奏は世の中から隔絶し漂うような感覚があり、どこにも向かわない代わり後退もないような、閉じた居心地のいい空間にいる気分になれた。

20代だった僕には未来へのなんの展望も期待もなかったし、それを不安に思ったこともない。地に足のつかない自分自身と重ね合う要素を、これらの曲の中に感じていたのかもしれない。

そのことがはっきりするのは、『バグス・グルーヴ』2つのテイクの後に始まる ソニー・ロリンズ作の『エアジン』だ。
とつぜん浮いていた体は着地して、自分がいまいる場所を確認する。
満ち足りた浮遊感と引き換えに、音楽は一つのかたまりから個々に分割され、各人の見事なプレイを堪能できる。それはそれで、悪くない。

マイルスの追求する音楽は、1959年『カインド・オブ・ブルー(Kind of Blue)』で一つの頂点を極める。その「モード・ジャズ」の萌芽ほうがが、『バグス・グルーヴ』に伺えるのだ。
ただし『カインド・オブ・ブルー』は、BGMにも音のかたまりにもなっていない。漂うのではなく、ある終点まで行きついてしまった演奏であり、マイルスはそこに留まることも後戻りもせずに、別の道を歩き始める。

その新たな道の先に、僕にとってもう一つの『バグス・グルーヴ』が生まれるのだ。
(次回に続く)

イラスト Atelier hanami@はなのす

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