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妄想の音楽葬

昨日、「生前葬」を提唱する事業主さんと話をした。
僕の(開店休業状態の)事業コンセプトは「ラスト・メッセージ」で、内容を伺っていると共通する部分も多々ある。
今後うまくコラボしていけたらと、願っている。

そういえば昔から、自分の葬儀で流してほしい曲なんてコラムを見かける。
五味康祐ごみ やすすけ(1980年4月1日、58歳没)という「オーディオの神様」と呼ばれた文人は、バッハのマタイ受難曲やらベートーヴェンの『英雄』第2楽章やら、何時間葬式やるねんくらいに長い曲をいくつも列挙れっきょしていた。
どうも死んだ後も、参列者と一緒に聴いているくらいな気分でいたんじゃないか。こういう人こそ、「生前葬」をやれればよかったろうに。

「音楽葬」というのもあるらしい。読経などを行わず、音楽や演奏を中心に式をとり行うスタイルだ。故人が生前に好んだ音楽を、CDや生演奏で流しながらお別れをするそうだ。オタクなリスナー人生を送ったワシならば、葬式はこのやり方でお願いし、事前に流す曲を編集しておくのも悪くない。

昔だとカセットテープC-60に入れる選曲で、「ミュージック・マガジン」とか「DOLL」でも掲載しとった記憶がある。あれ、けっこう楽しいんだよな。
それでは我が妄想の音楽葬の、「曲次第」などやってみよう。

まず、開式までの間に流れるBGMとして、Univers Zeroユニヴェル・ゼロの『Heresie』などどうだろう。
日本にも、少なくとも10人くらいは熱狂的なファンがいるであろう、ベルギーの室内楽ロックバンドである。
初期のこのアルバムは電気系を極力用いず、ヴァイオリン、サックス、オーボエを駆使して、暗いくら~い音空間をつくり上げていく。重厚感も充分あり、葬儀にぴったりの選曲ではなかろうか。
参列者はきっと、「始まる前からUnivers Zeroユニヴェル・ゼロか。こいつぁ油断できないぜ」くらいな気分になるに違いない。

場が暖まったところで(冷えとるがな)我が音楽葬は始まる。
ここで古典の名曲Ornette Colemanオーネット・コールマン『Dancing In Your Head』、いってみよう!
陽気なような暗いような主題の反復が延々30分近く続くが、オーネットはじめ名人の妙技を前に、退屈しているヒマなんてない。坊主のダレる読経なんかより、よっぽど故人も参列者もハッピーになれるはず。
みんな目を閉じ、激しく頭を振りながら体を揺らし続けるのだ。場内丸ごと、トランス状態になれるぞ。

しかしワシの葬式だというのに、このままだと情緒乾燥注意報が出されそうである。せっかくなら涙の一粒、流してほしい気にもなってくる。
やはりここでグッと泣かせる歌など、ませておこう。
井沢八郎『あゝ上野駅』である。こんな過去などワシにはないが、泣けて泣けて仕方ない日本人の心の歌である。こうした先人の築いたかつての日本の繁栄を食いつぶし、もう残っているものもほとんどない現代に、思いを致していただきたい。
まだまだ日本には、立ち上がれる底力があるはずなのだ。などという、食いつくしてきた側からの余計なメッセージを、この曲に託すのであった。

そこで最後は、日本の繁栄よ再び!を祈念し、マーラーの『復活』終結部で締めようと思う。

我は死なん、生きんがために!
蘇る、そうとも、おまえは蘇るだろう
わが心よ、いまこの一瞬で
なんじ、克服せしものが
神のもとへと汝を運んでいくのだ

演奏はミラン・ホルヴァート指揮スロベニア・フィルハーモニー管弦楽団で。
本当は同じ指揮者が戦時下で、RSO Ljubljanaと残した凄まじい演奏があるのだが、YouTubeにアップされていない。ただこちらでも、技術の巧拙を超えて圧倒される。これを参列者全員が立ち上がり、合唱するのだ。
日本の夜明けは近いぞ。

もう何が何だかわからないが、ワシが音楽葬なんか企画すると、参列者はこんな目にわされるという事である。しかも日ごと時間ごと、その時どきの気分で選曲は全て変わってしまうので、死ぬに死ねない編集作業に追われることになる。
死ぬまでそんな事してなきゃイカンのか。苦しいなぁ。楽しいなぁ。

やはり死後は余計なことなどせず、速やかに火葬(本当は土葬がいいのだが)していただくのが、無難と思われる。

イラスト hanami🛸|ω・)و

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