ばらばらな交流会
独立してしばらくの間は、異業種交流会かそれに類する集りにいろいろ顔を出してみた。
なんたってアラカン親父が、経験もコネクションもない世界でこれからやって行こうというのである。未知の繋がりと情報を求め、地元清水から西は浜松まで、場所も時間帯もまちまちなイベントに参加した。
付き合いで2~3度出かけたある会では、組織として完全にシステムが出来上がっている。会員同士が月に最低1件、自分のクライアントを紹介し、成約させるまでが最低のノルマになっているのだ。
「○○さんに引き合わせ頂いた先月の案件、おかげさまで契約できました」とか、成功事例が発表されていく。これを全員の前でやられると、ノルマを果たせなかった会員さんはしないでいい後ろめたさを感じるんじゃなかろうか。
つまり取引先に行って自分の営業以外に、他人様の仕事までとって来いと言われているに等しい。まして僕のようにまだ”取引先”のない新人だと、紹介の段階で不可能な要求である。煽るよねぇ。
罰ゲームまでないものの、まるで特定の宗教団体が信者獲得のため開く集会にいるような、居心地の悪さを感じた。
会員が増えるほどにWin-Winの関係が生まれるという理屈で、静岡市に限っても幾つものチームに枝葉が分かれている。完全なピラミッド構造で、どうやら全国に展開しているらしい。
30代40代の馬力ありそうなコーディネーターが場を仕切り、参加者は皆スーツ姿である。会費を月1万円とるのだが、その方が会員が本気になれるからとか、もっともらしい理屈がついている。
「無料のセミナーに参加したからと言って、皆さんが得られるものってありますか?1万円の投資をするからこそ、新たな発見やリターンが期待できるんです」
ん-、完全に洗脳モードじゃないか。
どうやら本部はアメリカらしく、あちらの気質には合っているかもしれない。知らんけど。
会の特性からいって、交流よりも「仕事を取る」ことが最優先の課題になる。それ故なのか、知り合った会員を相手に商売をする側と、カモにされる側に分かれていく傾向も垣間見えた。倫理や親交よりも、カネが第一ということだ。
たとえばコンサル系の会員が販売系の会員に、こうしたらいい、ああしたらいいをレクチャーするのだ。最初は気軽に相談に乗っていて、ある時点でここから先は有料ですよーとか、誘導していく。
相手が初心だとお説いちいちご尤もと入れ込んでいき、その内すべてコンサルの言う通りすれば成功すると、思いこまされてしまう。
仄聞したところによればその時点で、数10万円支払っているとの事だった。まだ若かったあの娘、今どうしてるかなぁ。
別の会では、経済界の伝説的人物の一冊から章ごとに朗読して、その言葉や行いについて感想を述べあうのが定例である。
会員の一人であるメーカーの社長が会議室を提供し、昼の弁当代1,000円のみの負担で、毎月開催されていた。
こちらは至って穏やかな異業種交流会で、毎回10名程度の常連さんが参加している。あくまで会員の紹介のみの、よかったらどうぞという姿勢だ。
主催者は銀行のOBで顔が広く、参加者の大半は地元の企業経営者か、大手の支店長クラスである。
ここに於いても僕など場違いな感覚があったが、何度か通ううち同じ思いを持ちながら参加する個人事業主と知り合い、彼やその繋がりの宿泊施設からお仕事をもらった。いい経験となり、今も感謝している。
足が遠のいたのは、(本人たちはそうと意識していないものの)成功事例や自慢話の類が多く、続けても得るものがあまりないと判断したからだ。
結果的に成功したとしても、自己分析できる経営者であればそれ以上の失敗を経験しているはずだが、負の側面にはまったく触れない。
何べん聞かされたか知れない客の自慢話でも、それも仕事の内と思えた現役の時代であれば、苦にはならなかった。それで自分や従業員が食わせてもらっていると思えば、相手への敬意や感謝だって自ずと生まれてくる。
ひとりになった僕が時間とガソリン代をかけ異業種交流会に参加するのは、むしろ他人の失敗談からこそ、学べるものがあると考えるからだ。
しくじり、ときに所属する組織に多大な損失を与え、ときに絶望し、しかしそこから這い上がり、その経験を糧として今日に至ったというストーリーであれば、参考にもなり勇気づけられもするだろう。
「オレってすごいんだぜ~」だけ聞かされても、ウソこけと思ってしまうのは、度量の狭さゆえだろうか。
いまでは1か所だけ、それもスケジュールの調整がつかず毎回ではないにしろ参加している交流会がある。
実にゆる~い集まりで、僕なんかには合っているようだ。
(明日に続く)
イラスト hanami🛸|ω・)و
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