振り返ったら 同じ自分
地元集落の名士になるぞ企画は「清水いはらフェス」に広報として参加することで、町の名士になるぞ企画に変更になったのである(超適当)。
僕の地区に限れば約200世帯、それが庵原という地域全体になれば約3,000世帯と、10倍以上の規模になる。
べつに自分の中で企画を変更したからって何の益になるわけでもないが、気は心である。ターゲットは、デカいに越したことはない。
初めての会議にオブザーバーとして参加すると、さらにそれを実感したのは顔をそろえるお歴々が、町の重鎮クラスだったことだ。
現市議会議員と前市議会議員、連合自治会長と前連合自治会長、地元農家のまとめ役や、当時の市長と太いパイプを持つ元役人もいる。
おー。ここってまさに、ザ・人脈じゃないの。
「清水いはらフェス」実行委員会に参画することになり、僕は広報部会の所属となった。イベントを周知するため、マスコミへの働きかけや周辺自治体に協力を要請する組織になる。
当時のメンバーは5名。SNSの活用としてFacebook、自前のホームページもすでに運用されている。有志の集まりとしては、かなりアクティブな活動内容だろう。
顔ぶれもユニークだ。
農協の記念誌や冊子作成などにおいて、専属のカメラマンだった人。
20代はタレントとして東京で活動し、今も地元でライブ活動を続けている女性。
現役時代は某公共放送職員で、アナログからデジタルまで自在にこなせてしまうエンジニア。この人のおかげで、イベント屋さんに頼めば100万円クラスかもしれないステージや音響設備のセッティングが、無償でできてしまうという極めて貴重な存在だ。
ここでも僕はYouTube動画やらせてと、最初の顔合せから主張する。元公共放送のプロを前にして、よくも言えたもんである。
それでも顰蹙を買わず済んだのは、大人の対応をしてもらってただけかも知れないが。
こちとら人脈も大事だが、動画の腕を磨く絶好の機会でもある。出店予定者にアポをとってもらい、次々と取材を始めた。
全て、伺った先でのぶっつけ本番。初対面で挨拶もそこそこ、いきなりカメラを回しご自分や会社の事業に関し語ってもらう。
みかんやお茶の農家・ダリア園・削り節工場・そうざい工場・地元のバンド・漁業組合・海産物商社・和菓子屋・少年野球チーム等々、これまで50近い人や団体を、YouTubeにアップしている。
時には1日2本、午前と午後の掛け持ち取材なんて日もあり、おかげさまでかなり鍛えられた。その後には撮影の数倍は時間のかかる、編集作業も待っているのだ。
現場で撮影するのも、インタビューするのも僕一人。
全部その場でのアドリブになるわけだから、これはジャズプレイヤーと同等の、命を削る行為なんである(違うか)。チャーリー・パーカー聴いてて、つくづく良かったなぁ。
「清水いはらフェス」はこれまで3回実行され、初回2,500名、2回目4,000名、今年1月開催の第3回で5,000名を集客するまでになった。会場のキャパからして、これが限界でもある。
当初の目的は社会実験であり、庵原に道の駅が誘致されればこれほどの集客能力があると、静岡市に示すためのものだった。
今後は年に一度、地域最大のイベントとして定着させるべく、軍資金稼ぎの手段として月1回の「清水いはらマルシェ」を始めている。
そしていつの間にか僕は、「事務局長」という肩書を持って実務をこなすようになっているわけだ。
会社を辞めた時、2つの目標を設定した。立ち上げた事業を軌道に乗せること、地元の名士になることだ。
後者はなんとなく、イケてる気がする。外に出れば「毎日たいへんですね」と声を掛けられる機会が、週に何度かある。だけどその動機は決して有名になりたいわけじゃなく、知られることで自分の商売に繋げようとする思惑からだったはずだ。
ところが肝心の前者は、からっきしダメなままである。とくに事務局長になってからというもの、本業に割く時間すらろくに取れないという、本末転倒な状況にある。
今となってはこっちで食えるようになってやろうと、気持ちを切り変えている。「道の駅」達成はいつになるやら、遠い未来の話になるかもしれない。でもその手前の、行政と来年に予定する小さな事業だけでもスタート出来れば、何とかなるんじゃないかと考えている。
幾つになっても僕は根っからの楽天家で、商売に不向きな人間なんだろう。ここ数年を振り返っても、生活の糧になる実績をほとんど上げていない。
一昨日も行政と話し合いが行われたが、先行きはまだ不透明な部分が多いままだ。
でもまあ、やっているうちには何とかなるさと、相も変わらず高を括っている。
未開の地でも耕し続けていれば、なにか芽が出て咲かせる花だって、きっとある事だろうさ。
イラスト Atelier hanami@はなのす
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