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シャレにならないカット

伸びた髪が耳にかかって鬱陶うっとうしい。そろそろ、散髪に行かなくちゃと思う。髪を切るのは目障めざわりじゃなくて、耳障りになったあたりを基準にしているので、3か月に1回くらいの頻度ひんどだ。毎日洗髪はするものの、シャンプーは一切使わなくなっている。

思い返せば子供の頃から、身なりにまったく頓着とんちゃくがない。

高校を卒業するまでは、いつも親から与えられたものだけを着ていた。普段は制服だったから、シャツなんか週末や休日用に2~3着あれば事足りる。

大学に入り一人暮らしが始まっても、オシャレとはまったく縁がないままだった。
実家に戻った際、母がまとめ買いしてくれる衣類を持ち帰れば不足はない。手持ちの金はすべて、レコードに化けていた。

20代の大半は仲間で運営する自然食品店とジャズ喫茶(神奈川県大磯町)にいて、わが人生でもっとも貧乏ったらしい格好で過ごした。
実際じっさい給料も出なかったから、貧乏と言えばそのものだったかもしれない。

泥付きの野菜を扱うので、汚れを気にしないで済む前掛けを常にしている。下に何を着ようと客からは見えないから、さらに衣服を気にしなくなる。
ひざ下からのぞくジーパンは何年も穿くうち、色の褪せた天然ヴィンテージものになっていった。
髪は伸び放題、薄くてさまにならないヒゲをらないもんだから、見た目は浮浪者と大差ない。
ただし、風呂だけは毎日入っていた。汗をかいたまま寝るのが不快でならず、だから衛生面では何の問題もない。
このアンバランスさは自分でも、不思議と言えば不思議である。

世はバブルの全盛期にあって、その恩恵おんけいをまるでけない珍しい80年代を生きていた。
仲間はみな似たような恰好をしているし、他所よそでこの世の春を享受きょうじゅする同世代にあふれていようと、なんの関心もない。こっちはこっちで、彼らとは違う楽しみがあるのだ。

だから、「みんなで貧しくなればいい」もあながち空論ではなく、当時の環境から実感できる要素も、一部はある。「カネより大事なものがある」と心から信じられる時代を送れたのは、やはり幸せなことだ。

もっとも、そうやって人を先導してきたオバアチャンは高層マンションに住み、高級外車を乗り回しているわけだが。
そういえば結婚を「誰かの“所有物”になる契約」として全否定していたこのオバアチャン。ご自分は入籍していたのが、近年になってバレている。この大先生に感化されおひとり様を貫いた女性も、少なく無かったろうに。
それが今でも厚顔無恥こうがんむちに第一線で活躍をお続けとは、お左翼の活動家とは大したもんである。

話しを戻せば、散髪の件である。
かつて実家のあった場所(千葉県習志野市)から2軒隣が理髪店で、小学校1年からはずっとこちらに通っていた。
「どうします?」と一応訊かれ、「いつも通りお願いします」と答える。
人生に一度だけ丸坊主にした以外は不変の七三分けカットだから、後はお任せで済んでしまう。おまけに近所のよしみでいつ行っても1,000円の特別価格でやってくれたから、僕の散髪の基準は、すっかりこの価格になっていた。

30過ぎて静岡に越してくると、さすがにばんたび千葉までは通えない。
安いカットの店を見つけて入店し「どうします?」と店員さんから訊かれたとき、どう答えていいか分らず最初は戸惑った。そうか。具体的に注文しないと、カットするほうも困るよな。

今もってファッションに無縁である。
『人は見た目が9割』なんて本もあるくらいで、もう少し気をつかった方がいいと頭で理解しているが、いつだって実行が伴わない。
会社を辞めてからは、スーツも一切着なくなくなった。クライアントと会うのも、全くの普段着である。

自分の息子が中学に行くころ美容院に通い始め、1回に僕の散髪代の数倍かけているのを知って、目をむいたりした。
そういえば両親も弟も、着るものにはそれなり金をかけていたっけ。僕だけちょっと、変わっているんだろう。
「自分で服を買ったことないでしょう」と、最近妻から(改めて)呆れられたばかりだ。

さて、実はここからが本題で、僕にとっての「理髪店」とはあくまで「床屋」である。
子供の頃から馴染み、今も使い続けているのは「床屋」という単語だ。ところがこの「床屋」さん、今ではあまり使われなくなっているという。なんでだ。

明日に続く。

イラスト hanami🛸|ω・)و




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