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クマの手までは 借りたくない

10日くらい前に、僕の住んでいる集落でクマの目撃情報があった。
こういう一報はXをやっていると、速攻で上がってくる。場所もあの辺りかと、だいたい特定できた。同じ地名であっても、我が家から数キロ離れた山の中の出来事だ。身の危険など全く感じずにいた。

我が集落の大半は高齢者で、スマホはおろかガラケーを使う世帯だってそう多くない。皆さん、クマの目撃情報なんて知らず、通常と変わりなく生活している。

発見者は森の中に養蜂場ようほうじょうを営む男性で、ハチミツを舐めているところに出くわしたそうだ。充分距離があったのでクマに気取られることなく、ぶじ下山できたという。クマのプーさんがハチミツ大好きなのは、どうやら本当の話なんだな。

地元では大半の人が知らないのに、街に行くと「クマが出たんだって?」「家にいても怖いでしょ」とか、複数の人から声を掛けられる。「全然気にしてませんよ」と返事をすれば、「エーッ!」と呆れられる始末だ。

今後しばらくは、僕は「クマの出る集落に住んでいる人」と認識されているんだろう。被害と言えば今のところ、商品にするはずのハチミツの一部を食われてしまったおじさんだけだったとしても。

いまの地に住むようになって30年以上経つが、今回の一報までクマの存在が他人ごとだったのは僕も一緒だ。
クマは基本的に臆病で、人間を怖がると言わている。人間が先にクマに気づけば、クマは逃げるはずだ。
例外は至近距離で遭遇するか、子供連れの親グマと出会ってしまった場合だけ。身の危険を感じた時だけ攻撃してくると教わった。

その臆病なはずのクマが人里に降りてくるには、よほどの理由があるんだろう。
一説にはクマの生息域である森林が、都市開発やスギの植樹などによって縮小され、どんぐりや昆虫などの食料源が不足しているためだとされる。
だとすると責任は人間側にあり、クマは一方的な被害者である。

スギが現在のように増えたのは、戦時中の乱伐により荒廃が進んだ森林を早期に復旧するため、手軽に植林できるスギが集中して植えられたためだ。
昭和30年代の高度経済成長期、住宅建築の木材需要の高まりに応えるため、成長の早いスギが広葉樹林に代わって、多く植林されたことも理由となる。

当時としては間違っていなかったかもしれない国の施策も、今となってはデメリットしかない。

日本の人工林の44%を占めるスギ林の総面積は国土の約12%にも及ぶが、花粉の飛散から現在では、国民の約4割がスギ花粉症を発症していると言われる。

広葉樹(コナラやアベマキなど)であれば地中深くに根を発達させるので、土砂崩れなどの自然災害に強い抵抗力を持っている。
ところがスギやヒノキなど針葉樹は、ひげ根(髭の様な細い根)が地表近くに広がっていくため、広葉樹の様に深く根を張り土を抱えることが出来ない。
吸水力もなく、地にしっかりと根を張れない針葉樹の性質が大きな要因となり、昨今の大規模な土砂災害を、全国至る所で引き起こしてしている。

1950年代まで9割以上あった木材自給率は、1970年代から輸入製品や輸入燃料材が国産材を圧迫し、2002年にはその自給率が過去最低の18.8%まで落ち込んだ。
林業は死亡率がどの職業よりも高いうえに、3K(きつい・汚い・危険)が伴い、従事者も年々減少の一歩をたどっている。

とどめを刺すがごとく、保水性を根本から奪い危険な化学物質の流入も懸念されるメガソーラーが樹木にとって代わることで、悪循環はさらに勢いを増している。
農林水産省や環境省というのは、日本を破滅させるために存在しているのかと疑いたくなってしまう。人工的に日本の山を管理しようなどというおごりりは、いますぐ改めなければならない。

管理されなくなった人工樹の森は、そこに暮らす生き物を人里まで追いやり、今後も国民は水害や土砂崩れ、スギ花粉症に悩まされ続ける。

人の生命を脅かす以上、目撃されたクマの殺処分も致し方ないが、根本を解決しようとする意識や具体的政策がない限り、事態はより悪化していくばかりだろう。
ネコの手も借りたい現状の困難さだが、以前の森を復活させて、クマとは互いにいい距離感を保ちながら共存していきたいもんである。

イラスト hanami🛸|ω・)و



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