SPY×FAMILYとヴァイオレットと愛国心と

半年ぶりにSPY×FAMILYのアニメを見た。

1話目からヨルが殺しをおこなっていて思ったが、フォージャー家の中で殺し屋がスパイ、エスパーよりも頭抜けていると思った。ロイドも作中で描かれないだけで人を殺しているのかもしれないが、あまりにもヨルの方法は残虐であるし殺人マシンである。後々にメンタルを病まないか心配になる。もちろん、SPY×FAMILYの作風上そういう展開はあり得ないと思うが、淡々と任務をこなしていくヨルにいささか不安を覚えるのである。

私がこのような懸念を抱いたのは、SPY×FAMILYのアニメが始まる数日前に起こったパレスチナ人によるイスラエル人の殺害の動画の中の地面に血だまりを作りながら累々と横たわる死体と重なったからである。イスラエルとパレスチナの争いはここに詳述するまでもないが、逆にヨルはなにゆえ殺し屋稼業をおこなうのだろうか。ヨルを雇うガーデンは国賊を暗殺する組織であるが、ヨル自身は弟を養うために殺し屋をおこなっているのである。いくら弟を養うためとはいえ、しかも弟も就職しヨル自身も役場に勤めていながら殺しをおこなっているのである。それでも殺し屋を続けるのはガーデンから逃れられないというのもあるだろうが、他に理由があってもいいはずである。そこであるはずのものが愛国心である。ヨルは幼いころから暗殺術を身に付けさせられているが、決して殺人マシンではなく作中で展開される通り不器用だが母親である。それなのに精神も病まずに裏で粛々と殺人を続けているのは奇妙なことである。

ロシアがウクライナに侵攻してから機会を見てはスヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチの作品を読むようにしている。アレクシエーヴィッチは当時ソ連だったウクライナ出身のベラルーシの作家である。彼女は作家というよりもジャーナリストであり、各地で聞き書きをおこないそれをまとめて本にしている。2015年にはノーベル文学賞を受賞している。彼女の作品の一つ『亜鉛の少年たち』はアフガニスタン紛争に参戦した旧ソ連の兵士たちから聞き書きをおこなったものである。その中で従軍した男性が「愛ってなんなんだ」と彼女に言う場面があり、そこでハッとした。大義名分のない戦いの中で手足を失い、精神を病み、仲間を失い、帰還してからも家族や恋人や周囲の人から疎外され、よりどころにしていたソ連も崩壊した兵士の重い言葉である。

この元兵士の言葉でなぜハッとしたのかというと、「ヴァイオレット・エヴァ―ガーデン」でジルベルトが最期に言った「愛してる」という言葉にとらわれたヴァイオレットが何度も繰り返す「愛してるとはなんですか」という言葉を思い出したからである。ヴァイオレットは「愛してる」が分からないと言い続けてきたが、本当に「愛してる」がわからなかったのだろうか。彼女も幼いころから兵士として育てられ、人を殺してきた。そのため誰かに恋愛感情を持つという意味で「愛」はわからないのかもしれない。しかし、愛国心はなかったのだろうか。

アレクシエーヴィッチの別の作品に『戦争は女の顔をしていない』がある。第2次世界大戦時にソ連軍に兵士として加わった女性からの聞き書きをまとめたものである。彼女らは祖国のために志願しナチスドイツと戦ったのにもかかわらず、戦後は不可視化され、むしろ女性でありながら兵士として戦ったことがスティグマとなったのである。アレクシエーヴィッチの作品は歴史の陰に埋もれた人々に再び光を当てたのである。

「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」では、男女の区別なく兵士は祖国の英雄として尊敬されている。しかし、彼女自身の愛国的感情は大きく描かれない。それが顕著なのは劇場版で、ライデンシャフトリッヒの市長夫妻からヴァイオレットが褒められた時の反応であろう。ヴァイオレットは「称えられるべき人間ではありません」と答える。そこにはもちろん戦争で人を殺した後悔やジルベルトを失った悲しみも含まれているだろう。とはいえ、愛国心的な描写がみられないのは不思議な点である。

「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」は軍や仕事、名誉を捨ててヴァイオレットとジルベルトが結ばれるため感動的な話で私自身も好きな話である。しかし、戦争で若者が全員戦死した島で一度は教員や百姓として島の生活を支えジルベールとして生きていく道を選んだジルベルトがヴァイオレットと一緒になるべきだったのか今も考える。ジルベルトを後押しした一人に島の老人の言葉がある。老人は「みんなのせい」「みんな傷ついとった」と語る。第二次世界大戦やベトナム戦争、ユーゴスラビア内戦といくつもの戦争がおこなわれてきた。その中で相手を憎まず許すことの重要性が叫ばれてきたのも事実だ。しかし、作中でも戦争神経症をわずらった兵士や国境で命を落とす兵士などが登場する。映画の中ではヴァイオレットとジルベルトを結ぶためのわざとらしさを感じさせる装置として老人は機能してしまっている。ジルベルトはヴァイオレットを捨てて「ビルマの竪琴」の水島上等兵として生きる道もあったのではないか、そう思わずにいられないのである。

愛国心というと保守思想のイメージがある。しかし小熊英二が『〈民主〉と〈愛国〉』で指摘したように憲法擁護と非武装中立が日本のナショナリズムの一形態であったとする。それが今や理念となり、ナショナリズムは保守のものとなって公に言うことが憚られるものともなっている。ロシア-ウクライナ戦争で左派が戸惑い、時に陰謀論に陥ったのも理念的な「平和」との現実との板挟みであったのだろう。「進撃の巨人」はまさにパレスチナのガザ地区のように壁に囲まれた国にミサイルではなく巨人が襲って来る話である。この漫画ではナショナリズムや民族主義が前面に押し出され描かれてくる。そのためパレスチナでも人気の漫画であるという。「SPY×FAMILY」や「ヴァイオレット・エヴァ―ガーデン」における奇妙な愛国心の欠如は、80年間の日本の「平和」を背景に生み出したものではないだろうか。そう、思うのである。


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