京都シルバーガイドクラブ「智和輪」テキスト

大河内傳次郎は、大正・昭和期の俳優。戦前から活躍した時代劇スターである。特に、当たり役の「丹下左膳」の名せりふ、「シェーハタンゲ、ナハシャゼン(姓は丹下、名は左膳)」は多くの芸人に物まねされるなどあまりにも有名。伊藤大輔監督に見出され、『長恨』、『忠次旅日記』に相次いで主演する。その風格は他の追随を許さず、トップスターに登りつめる。その後も山中貞雄やマキノ雅弘らと組み、次々とヒットを飛ばす。往時は、バンツマこと阪東妻三郎と並び称されるほどの大スターであった。とくに昭和1ケタ年代には「最高給俳優」と称された。また大戦前・戦中は、阪東妻三郎・嵐寛寿郎・片岡千恵蔵・市川右太衛門・長谷川一夫と共に時代劇六大スターと称された。また、儒学者の娘であった母の影響で、敬虔な仏教信者としても有名で、1931年に洛西の藤原定家が小倉百人一首の選歌をした京都の小倉山の山麓に「持仏堂」を建てた。後に、広大な和式庭園を自ら設計し、そこで仏教書をひもとき、「南無阿弥陀仏」を唱えてすごした。東映時代劇など晩年の多数の脇役出演によって稼いだ多額のギャラは、その大半が山荘造営に注ぎ込まれたという。現在では、大河内山荘として一般公開されている。

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