智和輪 テキスト

戦後、被爆した原爆ドームについて、保存と取り壊しの方針が決まらないまま、長い間そのままの状態となっていた。保存運動が本格化するきっかけは1歳の時に被爆し、15年後白血病で亡くなった楮山(かじやま)ヒロ子さんが残した日記であった。「あの痛々しい産業奨励館(原爆ドームのこと)だけが、いつまでも、おそるべき原爆のことを後世にうったえかけてくれるだろう・・・」こう記されたヒロ子さんの日記に心を打たれた人々によって原爆ドーム保存への運動がはじめられ、昭和41年(1966年)7月、広島市議会が原爆ドームの保存を要望する決議を行なった。

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