人学

吉田松陰先生は獄中で遺書「留魂録」を弟子たちに残し、最後にこう結んでいる。「私は三十歳、四季は己に備わり、また穂を出し、実りを迎えましたが、それが中身の詰まっていない籾なのか、成熟した粟なのか、私には分かりません。もし、同志のあなた方の中に、私のささやかな真心に応え、それを継ごうという者がいるのならそれは私の播いた種が絶えずにまた実りを迎えることであって、収穫のあった年にも恥じないものになるでしょう」

辞世の句 「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」

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