赤い仔馬①


藤井風に似てると思うのは、私だけ?
映画俳優のロバート・ミッチャム。
藤井風の父親が経営していた喫茶店名も「ミッチャム」。

南朝初代・後醍醐天皇と同一人物?
リトアニア大公国ゲディミナス大公。
出自に「リトアニア大公ヴィテニスの馬丁」説、も。

1949年公開「赤い仔馬」。
主人公の父の牧場で働く馬丁役が、ロバート・ミッチャム。

映画のポスターに大きく写るのは、主人公の母と、馬丁。

ゲディミナスの出自が馬丁だとしたら、主人公の父の牧場は、ゲディミナスが乗っ取ったリトアニア大公国か。

主人公の家族は、南朝に敗北した旧い日本の雛型としての家族、だろうか。

婿入りし牧場主になった主人公の父親は、家を出て行ったが、私の父の実父も、婿入りした家を出て行ったという。
主人公の父親は婿入り先に戻ったが、私の父の実父は、二度と戻らなかった。

私は、父の実父の母が、孝明天皇の皇子の睦仁と関係すると考えている。丁度、親子位の年齢の開きだ。

「妄想の極み」だろう。
この記事を読み直してみて、上の文章読んだ時に、書いた自分ですら、これは消した方がいいかも、と思った。

ただ、この部分が無いと、説明がつかない。
私と家族に、過去から現在に至るまで起きていることと、近い将来、予定されているらしいこと、の。

今の私には、父と母の結婚同様に、父の両親の結婚も、後に父の実父が家を出たのも、最初から計画されていたことだとしか思えない。

終末、即ち大きな時代の変わり目(今)に、最大級の人身犠牲の供儀をやりたい者達がいるのだ。
それは、今の日本の支配者でもある。

かつての日本の支配者と、今の日本の支配者は、全く相容れないもので、かつての日本はもう無い。
北朝とは、敗北朝の意味では?

この映画の仔馬は、人身犠牲の供儀の犠牲者を、暗喩していないだろうか。
犠牲にされるのは、敗北した側の代表者だろう。

勝者側は、供儀で犠牲にされるに相応しい者を、用意周到に、計画的に準備してきた。
映画の中で、種付けされる馬のように。

明治天皇として即位した者は、睦仁皇子ではない。

天皇家と、欧州の王族・貴族をも先祖に持つ孝明天皇と、松平容保の間に誕生した本物の睦仁皇子の子孫には、おそらく、捨て駒の陸奥人がいる筈だ。
私は、その為の公武合体だった、とすら思っている。
陸奥人の先祖を快く思わない、というより憎悪する者が、今の日本の支配者だろう。

男王系の南朝の世になり、今の支配者に都合のいい歴史が流布されているようだが、「天皇」は、本来女性の称号らしい。
睦仁皇子の母親が天皇だろう。

東日本大震災も、当時の知人の歌手(多分先祖に西郷隆盛、現支配層側)の怪し過ぎる動向からも、計画的な人工災害だったことは、疑いようがない。

私の両親を仲介した親族(父の叔父)は、元近衛兵で、戦後は定年まで防衛庁の職員だった。
両親を結婚させたのは「任務」だった、と私が気付いたのは、つい半年前。
この話をすると又、長くなるので、ここではこれ以上触れない。

原作が出版された年は、私の父の出生年。
最初に映画化された時に脚本を書いたのも、原作者ジョン・スタインベック。

昔、私が学校で観たのは、1973年に制作された映画だろう。

小学生の時に授業で、確か学年全体でこの映画「赤い仔馬」を観た後に、感想文を書かされた。

各クラス数人の感想文を載せた印刷物が、後に配布されたが、私が書いた感想文も載せられていた。

そんなことは忘れていたが、上記の印刷物含め、実家に保管されていた私の子供時代の作品等が色々出て来た時に、それを見てこの映画を観たことを思い出した。

「赤い仔馬」が最初に映画化された時に、ロバート・ミッチャムが出演していたとはね。

やはり、ゲディミナスはヴィテニス大公の馬丁だったのかも知れない、と思ってしまった。

この計画(人身犠牲供儀「喰う会」)を、近々やろうとしている者(現世界支配層=悪党連合)は異教崇拝者で、おそらく儀式演出の為に、あらゆる事象をリンクさせる偏執性を、持ち合わせている。
「ヴィテニス」なら、テニスは外せない。

「エースをねらえ」。
突っ込み処多々あるが、宗方コーチといえば、三女神を祀る宗像大社か。
神領の沖ノ島は、供儀の匂いがプンプンする(私見)。
沖は瀛で、秦の始皇帝と関係する島だった筈。

人身犠牲の供儀をやりたい者は、秦の始皇帝に関係するものも、憎悪している。

人身犠牲の異教崇拝者は、過去にも同じ残酷な供儀を、繰り返し行ってきた筈だ。
ゲディミナスが崇拝した異教は、ヒンドゥー教と関係するらしい。
神道もヒンドゥー、だという。

光格天皇(父は、オーストリア帝国陸軍元帥フリードリヒ・ヨシアスか)以来、202年ぶりの上皇になられた(近々行われる最大級の人身犠牲供儀絡みでは…)、南朝天皇家先代の出会いの場も、テニスコート。

テニスは、庭球。
庭は祭祀場、球(王求)。
祭祀場、王を求める。

「テニスの王子様」。
祭祀場の、王(の)子木(人✝️)羊求。

求・祭祀の為の生け贄、か。

こじつけでなく、今の支配者は、このように文字を駆使して、終末にやりたい儀式を仄めかしている。
公言出来ないからだ。

人身犠牲供儀の喰う会は、新しい「風の時代」を迎える時に、古い時代を葬送する会でもある。

ゆえに、新型コロナ(風邪)旋風を人為的に起こし、時を同じくして登場したのも、藤井風。

これを40年前に予告したのが、村上春樹の小説「風の歌を聴け」だろう。
小説の中の、左手小指の無い女の子のモデルも、胎内で被爆した為に、左手小指が一部欠損している私だろう。

これらも全て、終末人身犠牲供儀と深く関わっていると、私は思っている。

ロバート・ミッチャムは、私が喰う会切り札と見なす藤井風との関係性を疑わせるだけでなく、喰う会演出重要映画「アンティオ大作戦」「秘密の儀式」にも出演している。
 
「秘密の儀式」で犠牲にされる為に、生まれてきた、と言ったところで、真相を知る者(奴隷も含めた体制側)からはバッシング、知らない人達にも、信じて貰えそうにないことは、承知している。

私が訴えていることが、余りにも荒唐無稽過ぎるからだ。

おまけに、常習犯の近隣住民・職員だけでなく、不特定多数の膨大な数の者達から、長年、身に覚えの無い嫌がらせテロ(「嫌がらせ」のレベルを超えてる、リンチ同然)被害に遭っている事実も訴えれば、益々「妄想」だとしか思われないだろう。

本物の被害者の声をかき消す為の、自称被害者も、呆れる程いる。

こう書いてる今も(午前7時台)、住宅街なのに、四方八方から、物凄い騒音爆音だ。

日々、騒音だけでなく、思いつく限りの、筆舌に尽くし難い悪質な嫌がらせの数々。
長年の人生破壊工作。

私は、戦争だと認識している。
もう決着は着いてるらしいから(旧い日本の敗北)、正確には「戦後処理」と言うべきかも知れないが。

いずれにしても、自宅は加害者に完全に囲い込まれ、ここは戦場同然。

弱者を生前大虐待し、最期は人身犠牲の儀式の道具に使い捨てる者が、今の日本の支配者だということだ。

映画の話に戻ろう。
授業で映画「赤い仔馬」を観た後に、私が書いた感想文の、実に感情的なことw
今も全然変わっていない。

一方、冷静で論理的な、小学生離れした大人顔負けの感想文を書いていた同級生は、現在は音楽家に。

15年位前に、子が学校からの配布物として持ち帰ったチラシに、小学生の時に同級生だった彼の名前を見つけ、彼が音楽家になっていることを知った。

当時から、ピアノが上手で、頭脳明晰だった。

勉強は殆どせずに、大抵いつも、夕飯時に母が呼びに来るまで、近所の子達と外で遊んでいた私。
どういういきさつだったか記憶にないが、
家が離れていた彼とも、放課後に遊んだことがある。

覚えていることは、彼が私の家に来た時に、かくれんぼをして遊んだこと、後日彼の家に行った時に、彼がピアノを弾いてくれたこと。
他に誰か一緒にいたのかも、覚えていない。

私は、転居した為、同級生とは別の中学校に進学した。

音楽家になった同級生が、ピアノを弾いていた真剣な姿と、狭い私の家でかくれんぼをした時に、隠れていた私を見つけた時の、彼の顔は、小学生の時から長い長い時間が経った今も、私の心に鮮明に残っている。





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