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読書と筋トレ 三島由紀夫に憧れて

私は学生時代は両方とも中途半端にしかしていませんでした。
筋トレはサッカーをしていたこともあり、周囲の仲間より筋肉をつけていた方がマウントをとれる、という意識を持っていたのでかなりしていました。

しかし、サッカーの強豪校の東福岡高校なだけに、私よりムキムキな人は多数いました。
サッカー部よりラグビー部の方が、毎年全国大会に出場していて、こちらの方がはるかにキン肉マン揃いでした。
どうも、自分だけではないことに興味を失ったのか、あまり筋トレをしなくなりました。

読書の方はと言えば、エッセイや自己啓発本はよく読んでいましたが、受験勉強が忙しくなるとやめてしまい、大学に入ってからもあまり読まなくなりました。

習慣とは恐ろしいもので、中途半端でもやらないよりはやっていた方が、肉体も精神もはるかにマシだということに、30代になって気づきました。

肉体と精神は表裏一体だと感じたのでした。

私が今の運送会社に27歳で入社して3年目のことです。それまで、2t車で市内集配業務をしていたのですが、10tドライバーが数名定年退職したので、空きができたのです。
毎月の給料もそれまでの25万円から35万円になるという話だったので大喜びでその話にのりました。

しかし、これがきつい。10t車の仕事にびっくりしたのです。運ぶ物は様々で、ほぼバラ積みだったのです。

しかも、1日15時間労働は当たり前で、繁忙期にはマックスで30時間連続労働もありました。今から20年前の話です。
現代にこんな労働をさせていたら、運行管理者は逮捕されます。でも、20年前は制限時間は無制限だったのです。会社は社員をどれだけでも使ってもよかったのです。

そういう状況下にあって、『これでは体がもたない』と思って毎日腕立て伏せ30回と腹筋30回を続けて習慣にしました。
すると、1年間続けた時期から重い荷物を持ち続けても疲労を感じなくなったのです。
体型も変わりました。ライザップのCMのアフターとまではいかないものの、自分の意思で大胸筋を、右、左、右、左のテンポで動かせるようになりました。

かつて、作家の三島由紀夫も筋トレに熱中した気持ちが少しわかったのです。

偉大な作家三島由紀夫のバイタリティーの凄さは皆さまもよくご存知だと思います。
あの当時で、あれだけイケメンで面白い小説が書けて、ボディービルダーとあっては、女性ならずとも男でも惚れてしまいます。文武両道の典型型ですね。

しかも、三島由紀夫の高祖父は徳川慶喜の側近の永井尚志だったのです。
坂本竜馬が大政奉還裏工作をしていた時の幕府側の交渉役が永井尚志です。
永井は徳川幕府の官房長官のような役職で、勝海舟の上司にあたる人物でした。
だから、竜馬も勝海舟の紹介をへてちかづくことができたのです。

そうした三島由紀夫の血筋や文才や筋肉質に魅了されて、彼の著作を読みあさりました。
『金閣寺』という著作を読んで驚いたのは金閣寺は戦後消失するのですが、その取材に行った新聞記者の中に、若き日の司馬遼太郎(福田定一)記者がいたのです。
私の尊敬する司馬さんに、こんな作品の中からも出会えることにも、三島由紀夫に感銘を受けました。

基本的に筋肉質な方はナルシストだと思います。自分の体を鏡で見て、自己陶酔してしまうのだと思います。私もそうです。
やはり、普通の体ではない自分の体に自尊心が高まるのです。
これと類似しますが、読書も筋トレと同じ精神構造でしているのではないか、というのが私の見解です。

まず、読書をする目的は楽しむことと、幅広い知識を身につけることです。それと古今東西の自分と共通性や仲間となる作家に出会えるという楽しみ方もありますね。

その中でも、この表題で私が述べたいのは知識の部分です。これは、筋肉物質と非常に類似すると思うのです。

蓄えられた知識物質も、筋肉物質同様に大きくなろうとする性質があると思います。もちろん、本人の能動的な意思があった場合の話です。

読書もすればするほど、様々なジャンルに対応できる予備知識が生まれて、また知りたい、という好奇心が増幅されます。
哲学者の著書が読みづらいので、入門書が数多くあるのはそのためです。

脳の中にある知識物質が多くなればなるほど、少数のネットワークが限りなく広がっていくと思います。

このようなことから、読書と筋トレが似ていると思った次第です。

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