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幸福論

私は以前、幸福って何だろうと思いその類いの本を読みあさった時期がありました。
しかし、本を読むより明解なのがテレビでよくみる大谷翔平の笑顔です。
好きな野球でアメリカに乗り込み、世界の頂点を極める。今や日本人の希望の光ですね。
同じことで、以前、ボクシングのファイティング原田やプロレスの力道山たちが日本人の心を鷲掴みにしました。
日本人がアメリカ人に勝てる瞬間というのは、鳥肌ものだったそうです。
戦争でアメリカにコテンパンにやられて、GHQに国の内政を掌握され続け、強い劣等感を当時の日本人はもっていたので、たとえスポーツでも勝利する現実に興奮したそうです。
このように人の心を揺さぶってくれるスポーツ選手は羨ましい限りです。
しかしながら、そういう人は選ばれた人だけです。
一般人には縁のない世界です。でも、世の中は、それぞれの道を極めたプロの集団で出来上がっています。大工のプロ、セールスのプロ、ラーメンのプロなどなど。
どの仕事も、世の中にはなくてはならないし、役に立っています。
しかしながら、仕事によって収入にバラつきがあることから不平等さを感じる方も大勢いらっしゃるでしょう。
私は今年で50歳になりますが、まだ子供の頃祖母から『他人と比べたらいかんよ。よそはよそうちはうち』ということを繰り返し言われました。そのことを友人数人に話したところ、同じことを言われたと言っていました。
おそらく、祖母らの世代(昭和2年)生まれの方たちの流行語だったのでしょう。
なぜ、そんな事を言っていたのか、その心は『立場や経済上の上の立場の人を羨ましがっても、自分が惨めになる』からだと思います。
現代社会はお金を持っている事が幸福の証だと広く信じられています。仕事をする目的もお金をもらうためだから、そう信じられるのも仕方ない一面はあります。確かにお金をたくさん持っていると、好きな物を何でも買えるし、好きな旅行や趣味など好きなだけできます。言わば、お金は魔法のようなものです。
しかし、お金だけが幸せではない、と豪語する人はたくさんいらっしゃいます。その方々の論理は次のようなものです。
健康でなくてはお金は紙くずだ。全くその通りです。
愛する人と共に子を育て仲良く生きていくことこそ幸せだ。全くその通りです。
しかし、多くの人は健康を大前提としてお金を欲していますし、大半の人は伴侶は労せずともいらっしゃいます。
やはり、なかなか手に入らない物だから欲しがる側面があるのでしょう。
アメリカでは、お金を持っているという事はイコール何らかの能力がある、とみなされるそうです。ところが日本では必ずしもそうではありません。親が会社やお店を経営していると、そのまま親の後継ぎをするのは珍しくありません。政治家にしても、世襲のようになっています。後を引き継ぐには、それなりのスキルをみにつけなくてはいけませんが、必ずしもそうではありません。
つまり、能力がなくてもお金もちはたくさんいらっしゃいます。
しかし、最近ふと思うのは、世の中のそうした価値観の影響をうけて自分を見失っている人が多いことです。
ある経済学者が人間が幸福を感じる年収を試算し分析した結果、800万円だそうです。多からず少なからずでしょう。
私のように平均年収しかもらえない人間にとっては夢のような年収です。
実際のところ、年収1000万や2000万だと、金に困ることはないでしょう。しかし、経済学者によると貯金が減ることの不安が常にあるそうです。その点年収800万だと貯金はたくさんできませんが、ある程度欲しい物が買えるし、買った物を大事にする価値観がまだ十分備わっているそうです。
年収2000万以上となると、買った車でも気にいらなければ、すぐに買いかえるし、大事に乗らないでしょう。
要するに、物を大事にあつかうことの年収が800万円という見方もできるでしょう。
ただ、私が常々思っているのは、お金は手段であって目的ではないということです。
私は以前ある地方タレントとお話しする機械がありました。その女性タレントは『仕事が楽しくてたまらない。家に一人でいることが憂鬱でたまらない。好きな芸能人と一緒に仕事をすることもあるし、感銘をうけるお話しもたくさん聞ける。こんな楽しい仕事に出会えて幸せよ』と嬉しそうに語っていました。
やはり、大谷翔平もそうだけど天職と出会えた人が幸福だ、と思います。

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