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仕事について

人間は何のために生まれてきたのか、という問いに武者小路実篤は著書『人生論』の中で『仕事をするため』と明言しています。

人類が未来永劫存続するためには、それぞれが、自分に課せられた仕事をすることである、と。

思わず、すんなり納得する私でした。
漠然と日々の仕事に集中していると、働くことの根本的な問題など考えもしないですね。

ただ、働いてお金を稼いで家族をやしなって、少しでも幸せになればと、誰しもが思っています。が、仕事はお金を稼ぐため、と定義づけしてしまうと主観的立場で利己主義におちいり安いような気がします。

逆に、仕事を『人の役に立つこと』と定義すると、利他の精神が生まれやすくなります。もちろん、人の役に立つから、その対価としてお金が発生します。

人の役に立つための仕事を実行していた人たちがいます。中世から近代まで活躍した近江商人です。彼らの有名な理念が『三方よし』です。『売り手よし、買い手よし、世間よし』という商売哲学です。

物を売る側と買う側の両方とも得をしなければ、世の中はよくならない、という考え方です。

極端な話ですけど、よくテレビで見聞きする悪徳業者は、自分の利益のみを考え、大した価値のない商品を高額で販売します。

昨今話題になっている旧統一協会もそうでしたね。壺やネックレスなど
数千円の価値しかないものを、数十万円で売ったりして高利を得ている人もいます。

しかし、このように自分だけが儲かる商法では買い手はもちろんのこと、世間もよくなりません。売り手自身も、一時的な高利益に満足はありますが、罪悪感にさいなまれ、長くその仕事をしようとは思いません。

三方よしを実行している企業は長続きしています。
西武グループ、セゾングループ、高島屋山形屋、伊藤忠商事などが近江商人の流れをくむ企業です。

どの企業も一流大手で継続中ですね。
このように考えていくと、世の中の景気の良し悪しは、近江商人の哲学を実行している企業とそうでない企業の比率によって左右している気もしてきます。

しかし、仕事について考察していくと、景気の問題よりも仕事の起源についてイメージしてしまうのは私だけでしょうか。

原始社会での人間の営みについてです。
現代のような仕事の概念など存在せず、ただ狩猟だけをしていた人間の仕事について考えてしまいます。

現代はお金で、その仕事の価値が数値化されてしまうような一面があります。

反対に、日本の縄文、弥生時代では金銭欲や物欲をどのように満たしていたのでしょうか。

まだ、通貨がない時代だから物欲だけですね。物欲といっても食料がほとんどだと思いますけど、それを保存するための土器や、食料を加工する石包丁、狩猟をするための石槍が価値あるものだったはずです。

それらを製造できる人は、重宝されたはずです。便利な物をつくって役に立つ仕事は、現代と同じく希少価値を感じていたのです。

やはり、時代を問わず『役に立つこと=仕事』という概念はあったということですね。

ただ、先程も述べた通り、現代は仕事が明瞭な数値で計られています。

一昨年、ソフトバンクホークスに近藤選手が移籍してきました。この時に物議をかもしたことがありました。移籍してからの年俸が、エース各の柳田選手よりも高いのです。

当然、柳田選手は黙っておらず、球団にも不満を言ったというものです。

この時の柳田選手の心情は、『なぜ、俺より給料が高いんだ』よりも、能力の評価を給料で示されていることへの不満だったと思います。

私もそうです。10tトラックで仕事をしていますが、昨今4tトラックの方が給料が高かったりするのです。

自分の方が仕事ができる、と思っているのに正当な評価をしてもらえないことはよくあるものです。

このように現代は社会に影響力が高い職種ほど、給料という能力バロメーターで計られている現実がありますね。

だからこそ、noteなどで個を表現したい人が多いのでしょう。私もその一人です。


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