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未来について

今から100年前に生まれた人たちは今のような物質文明がくることを予期したでしょうか。明治から大正に変わり、西欧文化もぞくぞくと入ってきていました。
しかし、メディアがまだ発展していないので、東京、大阪以外の地方都市では、まだ江戸時代のなごりを残すところもあったのではないでしょうか。
100年前に生まれた人はまだたくさん生きていらっしゃいます。大正12年生まれです。私の祖父は大正15年生まれでした。まだ存命な方に合う機会がなかなかないのは残念です。色々とお話をうかがいたいことが山ほどあります。
例えば、何に希望を持って生きていたかです。
現代に生きる私たちは、メディア等で人類が到達するであろう未来予想図を見せられています。映画ではターミネーターやバックトゥーザフューチャーなどで未来の世界が描かれています。
しかしながら、物質文明が猛スピードで進んでいるのに対して、精神文明は徒歩並みのスピードなのです。
この問題を考察してわかったことがあります。
物は人間の力で自由自在に変化させられるけど、人の力で他人の心を自由に変化させることができないということです。
中東での宗教の対立などいい例です。
イスラム教の国では、戦争が絶えません。何故、争うのか。考え方が違うことと、自分たちの論理をおしつけるからです。
自分たちが正しいと思っている集団は、正義の旗をふりかざします。かつて、日本でも正義の旗をふりかざした戦いがありました。
戊辰戦争です。小説では薩摩、長州人の視点から描かれることが多いので、薩摩、長州が正義と描かれて錯覚に陥りやすいのですが、実際のところは結局『勝てば官軍』という論理がまかり通ってしまうのです。
勝った方が、全てにおいて優先権を行使してきたのは歴史が物語っています。
何故、話し合いの議論で解決できないかは、双方の言い分が相手よりも条件がいいからです。
子供の喧嘩でも、最初は口喧嘩です。しかし、どちらかが、相手を挑発したり馬鹿にしたら手がでます。そして、喧嘩に勝った方は相手を屈服させて、何でも言うことをきかせようとします。子分あつかいです。
その関係がアメリカと日本の関係です。
大人になっても、人と争う時は子供の気分が抜けないのが人間精神でしょう。
おそらく、私の想像では2000数百年前のギリシャでも、ソクラテス、プラトン、アリストテレスなどの哲学者は現代と変わらないレベルでの問答をしていたと思います。
数千年と聞けば、まるで違う世界を想像してしまいますが、それは今が高度な物質文明があるというだけで、人間の精神には差ほど変化が見られないのです。
これから先の未来はAIが進化して、映画のような世界がくるかもしれませんが、人間は備わった寿命を如何に有意義な時間として暮らしていくかではないでしょうか。
人類は道具を作ることで、寿命をのばしてきました。江戸時代に100km先に行こうとしたら、歩きっぱなしでも25時間かかります。現実的には急いでも丸2日かかったでしょう。しかし、現代は車でわずか1時間です。これだけでも2日寿命がのびたと言えるのではないでしょうか。
この時間論は百田尚樹さんの『新相対性理論』に詳しく書かれています。
生物の寿命は有限です。有限である時間を如何に中身の濃いものするかが、幸福であると多くの現代人は知っています。
おそらく、どんなに科学が発達しても、寿命が今より長くなることはないでしょう。
そして、何より幸福だと感じるかはロシアの文豪トルストイはこう言っています。
『人間に最大の幸福をもたらすところの感情を全ての人間は知っている。その感情は愛である』

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