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起業する前に経験して良かった事③④

③超繁盛店の裏側を見た事

前回の記事でも書いた
『職場、環境の大切さ』を身をもって知った私は、千葉県のある超繁盛店へ渡りました。
自分で食べて美味しいと感じたことはもちろんでしたが、なによりも魅力的だったのは

焼き菓子の種類の豊富さ。そしてそれらの完成度の高さでした。

当時、それまでフール(オーブン)は男性の仕事であり、力も必要で、女性が触る事などはまずありえないのが通例でした。

プリンの湯煎の湯をこぼした、
ミキサーや扉に手が挟まる、
火傷を負う、
そんな場合など、事故が起きたときは大変凄惨なものになりがちであることも理由の一つでした。

ただ。
独立を実現するならばここはやはり外せないのです。スポンジを焼けなければショートケーキ ができません。
あらゆる土台がそこに詰まっているからです。
糖化と酸化と乾燥と圧力
いろんな科学が詰まった工程です。

そしてもう一つは、
正直なところ、私はこの世界に入り【女性】であることを数えきれないほど悔いてきました。
パワハラ、セクハラ、除外、罵倒、様々なシチュエーションでそれは繰り返し繰り返し私の前に壁となって立ちはだかるのでした。

戻りますと、一店舗日商30万を越えるテイクアウト専門の洋菓子店では、
シェフを筆頭に現場で働いてるスタッフ全ての人がいわば修行中で目標を持った人達。

生産量もものすごく大量です。
朝の5:00から夜中まではざらでした。3時間しか寝れない日が週に3日。会社の休憩室で寝てしまった日も沢山ありました。
一人暮らしのアパートのお風呂で寝てしまって溺れそうになったり、
ご飯を食べながら寝てしまいお味噌汁のお椀に顔を突っ込んだ日も笑。

とにかくスタッフみんな全力で集中します。
ミスがあればみんなで補う。ピリピリ とした空気。拳も蹴りも飛ぶ現場。そんな中で、女性も男性もなく私自身が1スタッフとしての在り方を見出すために大切な事に気づくまで
それはとても時間がかかりました。何度も実家に逃げ帰ろうかと思いました。

まず『泣かない』こと。これが大前提。
そして『常に準備をきちんとしておく』こと。
そしてこれを繰り返した一年後、

『相手の考え方や視点を考えること』

を少しずつ無意識に出来るようになりました。なぜダメなのか、どうしてそうなったのか、理由と原因から結果があること。
早く仕事を終えるためにどうすべきか。
失敗を回避するためにどんな行動が必要か。
そうなると、自然に怒られることもなくなるし
仕事も沢山こなせるようになる。
ただ仕事をこなす人と、良い状態を追求しながら仕事をする人では、出来上がるもののレベルは全然違います。
【会社って、人なんだな。】
そう感じたのは、22歳の時でした。
でもかなりキツかったので、正直ちょっとどこか、おかしかった気がします。。。。
人生で一番働きました。菓子漬けでした。
個人の菓子店で言うと、大きな問題点は

『生産と販売のバランス』
『品質の一定ラインの持続性』
なんではないかなと感じます。ここについては最大限自分のやれる範囲に挑戦できました。

私は、素晴らしい才能があるわけでもなく、
光るセンスがあるわけでもない。
凡人です。
とにかく【量をこなす】事をしてきました。
同じ作業を何万回してきて、一見わかりにくいけれど大切なコツのようなものをそうして掴んできたように思います。
今起業して誰か人に褒められたとき、
それしか思い当たらないからです。

【④福島・宮城の東日本大震災『3.11』】

これはまず最初に書いておかなくてはならないのは、沢山の犠牲になってしまった尊い命があるこの災害について、
『私』が一命を取り留めることができた奇跡を受けておきながら
それについて全く持って私は幸運と受け止めることができず、
前を向くことができず、
2年ほどの歳月を苦しい悩みの渦の中にいたという事を書いておきたいと思います。
さらに私の同級生や、その大切な人をはじめ
亡くなられた沢山の方のご冥福を最初にお祈りします。あくまで今、私が経験して良かったと感じる事としてこれを書くのは
ここを割愛するわけにはいかないという事です。まだまだ悩みの中にいる方も、そして今や日本列島そのものが災害の拠点のようになり

命の危険に触れるような出来事を経験した全ての方にお見舞いを申し上げます。

これについては結論から書いてしまいますと、
当たり前だと思っていた日常の便利さに改めて気づかされた事。

お菓子という甘いものの需要とその力について改めて感じたものがあった事です。

そして、実家宮城県松島町の端っこで私の起業のベースとなる
【キッチンカー 】との出会いを
果たすことになります。

私があの揺れを経験したのは、福島県白河市の小さなケーキ屋さんの厨房の中でした。
腰が抜けて立てないバイトの女の子に肩を貸して入り口に運んで、ガスの元栓を閉めて上にあった重たいケーキの焼き型を下ろして様子を見ていましたが、
責任者の『一旦外に出よう!!』の一言で
皆んながパッと動き出しました。
ハッキリとそうだ!と私達に意思を与えた瞬間のように思いました。
外に出たら水道管がせり上がってきていて、
目の前の湖は水がなんだか引いていて
カフェスペースにいたスタッフたちと合流して、ひとかたまりになってお店のお庭でひとときを過ごしました。

7日か10日して、東北の背骨と言われる4号線が開通して、
私は実家の宮城県へ行けることに。
被害の現状などは敢えて書きません。お隣の東松島市は車で10分。
慣れ親しんだ景色は厳しいものでしたが、松島町は島々に津波が砕けたおかげで、津波自体は小さな(160-185cm)ものですみました。
家族も親戚も無事でした。幸運でした。

ここから、給水に人々がタンクやペットボトルを持って並ぶという生活が始まり。
家事というものに1日の大半の時間を割く日常に変わります。ある程度お水が貯まったら下着を洗濯しようとか。お風呂は観光ホテルの大浴場が解放される日以外はなかなか入れなくて、ものすごく混んでいて、叔母さん家の井戸水をもらってお家で入れたときはとても嬉しくて、
とにかく片付けと家事で1日の大半が
終わりました。洗濯は大仕事でした。
そしてポリタンクを持って給水車を待っていたほんの少し雪混じりの日、
メロンパンのキッチンカーを目にしたのでした。一個100円。あったかいパン。
『必要な人に自分から寄せるお店って良いな』
その時はその程度でしたが、もう、とにかく嬉しいという感情が凄かったんです。
スーパーでさえお米が入荷してるかわからない。何時に開店するかもわからない。そこに温かい甘いおやつパン。そして焼きたて。
近くで美味しいものやほしい物が買えるって
なんて幸せな事なんだろう。しかも100円で買えるなんて。教えてあげたい、買ってあげたい。
あったかいものを食べられるなんて。
一見見えにくい本質とか、幸福感について
私は大変考えさせられたのでした。

ある日、飲食系の食品卸会社に勤める姉が、
会社の在庫してある食品について社内で分配する食品を頂く事になりました。一度冷凍庫のスイッチが停電のため止まってしまい、廃棄のものが多くあった為でした。
父は、長らく食べれていないお肉を勝手に期待し。母も、なにか楽しみという感じ。

そして姉が持って帰ってきたのは。。。。。

バター3ポンド(1ポンド450グラム)。。。

でした。

これはですね、両親落胆してました。笑
特に父。
社員だった姉は子持ちのパートさんに順番を譲ったんだと言っておりました。良いことをしたんです。姉。
これは、私の出番とばかりに
強力・薄力・バター・水・塩砂糖と
目分量でパイを仕込み、コーヒー用の砂糖使ってオーブントースターで焼き上げます。

即席の源氏パイを作り、
お歳暮でもらったコーヒーの粉を茶越しと布巾でセットして淹れて。

沢山作って、シャワーを貸してくださった友人やお水をくれた叔母さん、お隣さん、色んな時に持っていき、皆んなとても喜んで下さいました。

『おやつ』って、みんなこの時、欲しかったのかもしれない。

私、そんなことを思いました。
スイーツはもう、嗜好品とだけ呼ばれるものではありません。必需品に近いものがあるし、人によって必需品だという方の方が多いのかもしれません。

何にせよコーヒータイムを過ごせるなんて
おもってもみなかった私達家族。
そして私自身の今後を決めていく自信のカケラになった出来事でした。
設備なんて重要じゃない。
レシピなんて見なくても体が覚えている。
私が今まで積み重ねてきたことは、
誰かの役に立てている。この状況でも。
そして求められている。この状況でも。
私がメロンパンに感動したみたいに。
そしてこの先地方で人が減っていくとして
どんな点で住むところを決めるかという問いに
『住みやすさ』と答える人がいたとして。
本当に満足できる商品が手近で手に入る事もそれに含まれている事。
お世話になった人への贈り物をしたいという【お礼】をする文化がとても強いこと。
沢山の学びがそこにあり
便利さから立ち返ってシンプルな暮らしの中で
自分が勉強した事って
自分から出来たことなんだ。それを学びというんだ。人から教えてもらったことじゃない。
何にもなくなって、そこで自分の中から
出てくるもの。そうか、そうだったのか。

月日はまた移ろいます。ありがとうございました。

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