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「生きてることは、物語じゃないから」って何?

暇。

100歳まで生きることはないとしてもなんとなく還暦までうだうだ生きてしまう気がして、それはつまり「芸術は長く人生は短し」ということなのだが、なんとなくの生活が保障された現在においては寧ろ「人生は長く芸術は短し」と言った方がいいだろう。

だがそんな生活を暇なく過ごせるのは、財力があったり恋人や子どもがいるからである。何も持たない無敵の人予備軍でさえも、ギャンブルや女性声優のライブやVtuberがあるのだからセーフティーネットというのは上手く機能している。

ただ、我々には才能がなかった。消費社会に耽溺するという才能が。

グラビアアイドルにリプライを送ったり、まとめサイトを見て専門家でもないのに時事問題に主張してみたり、山月記でオタク達と共に盛り上がるといった才能が我々にはなかった!

そういった息苦しさに我々はどうすればいいのか。結局薬を使ってどうにかしろという話になってしまうのか。

そうだ。お前らは薬を飲め。ただ私はシャニマスに賭けた、それだけなのだ。

シャニマス哲学に対する態度として、私は演繹的に使おうとしている。つまり、シャニマスでなくても良かったというのが本音なのである。ただ、オタクの間でシャニマスが流行っていたから、やはりそこには意味があるのだろうと思っただけなのだ。

だから私はまず言いたいことがあってそこにシャニマスを当てはめて解釈することになってしまうだろう。勿論、シャニマスから学ぶことはあるだろうがそれは正直最初から言いたいことがあってその型にアイドルを嵌める作業にすぎない。

そんなのはダメだ!それは思想であって哲学ではないじゃないか!

だがどうやったら断片的なテクストだけで我々は二次元の少女達になれるんだ?


誰もこの問いに回答できないじゃないか。

いくら二次元の少女をNTRしようが、オタクのことを大好きな人格にしようが、彼女達が自分達は2次元であると告発した瞬間にオタクの3次元中心主義的なプライドはがらがらと音を立てて崩れていく。

ごめんね 本音が口に出せないの
私は2次元の女の子
決められた台詞通りにしか
貴方と会話出来ない

ならば我々は思想が凛世や雛菜や冬優子それ自体になるしか道がないだろう。

なぜならば

でも伝えたいの この気持ち
”出会ってくれてホントにありがとう・・・”

という歌詞は我々の側からの言葉でもあるのだから。


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