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#自己紹介

まず #自己紹介 を書きます。

私の名前は"えと"といいます。

青森県南部地方や津軽地方、あと東京にもいるらしい苗字ですが、どこに行くのも"えとさん"と呼ばれているので、それでいいやと思います。

生まれ育ちは愛知県名古屋市。そこで27歳の誕生日の10日前まで市内を転々としながらも過ごしていました。

10歳まで住んで通った小学校では古墳の上に建てられた学校ということで、校舎や体育館などが建て替えられるときになんらかの土器が出たとか出ないとか。

ホントにそんな学校あるの?って方は調べてみるといいですよ。

今はそれぞれの学校でホームページやってますからね。前に見に行ったときは、出土した土器についての記事もあったと記憶しています。

次に暮らした場所で、中学の時地域の伝統工芸に触れてみようということで、その時は有松や鳴海に近かったからか、絞り染めの体験がありました。

なので私の頭の中では、どの地域にも古い記憶と密接であり、それによって生かされている地域とそうでもない地域には別れてしまうけど、伝統工芸というものは素晴らしいものだなと拙い自作を見て、そう刻まれました。

でも悲しいかな、高校に入り、私が思春期でというより、家が、家族がぐちゃぐちゃになり、気が付けば高卒新社会人にして何故か私が大黒柱となり、時には近所から追い出されるように逃げたりとしているうちに、刻まれたそれはどこかに消えてしまいました。

自分の中では伝統工芸のこといろいろ探してみたいとは思っていても、1日生きるのが精一杯の日々。

辛くて苦しかったけど、頑張っていました。

いつか報われる日も来る、そう思っていました。

けれどその想いは叶わず、ただただ消耗していく日々。

ようやっと苦渋の原因から去ることもできた中、普通の思春期を過ごさなかった私は、青森県八戸市に住んでいる、のちの主人が、いつでもどんな時でも優しく、楽しい場を設けてくれることに尊敬を覚えていました。

当時はインターネットも夜だけ常時接続で、お互い忙しい身だからそんなにインターネットでも言葉を交わすことが出来ませんでしたが、安らぎを心から求めていた私に、知らずにその人はあたえてくれていて、もしかしたら、実際に会う前から恋愛感情を持っていたのかもしれません。

出会いがあったサイトでオフ会をしようという話があり、その人が来ると知ったとき、会えるチャンスだと思いました。

そのサイトは出会い系ではなくてゲーム系だったんで、私はそのサイトのオフ会にはすでに何度か参加した事もあったので、仕事の休みをもぎ取って、そのオフ会に参加したことを覚えています。

そうして、私は主人と出会い、中身が思った通りに優しくて暖かい感じがしたので、たぶん一目惚れというか、いや、もうなんと言いますか。とにかくベタ惚れに私がなってしまい、初対面というのに、結婚を前提にお付き合いをお願いしていました。気が付いたら。

とにかく押せ押せモードに入ってしまい、驚いた主人に青森の田舎さをなめるなとか色々言われましたけど、じゃあ今度遊びに行くからどんなところか案内してくださいと返したりしていたら、次は私が八戸に行く算段を決めていました。

八戸着いて思ったのは、涼しいということ。名古屋とじゃ10度は違うんですよね。湿度も違うし、そして、空気が澄んでいる。

もう、新幹線から降りての第一歩で、八戸が好きになりました。

全然知らない街だけど、主人と一緒で一目惚れ。

泊まるのは主人の家でなくホテルでしたが、主人は迎えにもきてくれましたし、紳士にホテルに送ってくれました。明日は十和田湖行くよ、と言い残して。

十和田湖。

私はどういうところかわからなかったんですが、動きやすいズボンと靴はいつものことですし、深く考えませんでした。

翌朝、主人と一緒にドライブで、十和田湖に。

はっきり言うと、山の中ですよね。途中は田園風景だけど、途中から明らかに山に登って行くわけですよ。

私はね、家族旅行が怖いと感じる人でした。

いつも置いていかれる夢をみるからです。

だから車酔いもかなり酷いもんです。

でも、運転席に座って運転する主人が楽しそうで、その横顔を見て安心して身を預けられる幸せに、びっくりしました。

その時までは必ずと言っていいほど車酔いしたり体調崩したりして家族の旅行気分を台無しにしてきた私が。

ほんの少しでも、車に酔わなかったんですから。

もちろん体調も良好。

もう、景色が輝いてみえましたよね。

ところで、十和田湖って手漕ぎボートに乗ることが出来るんですが。

その、私たちの頭上で、彩雲を見ることが出来たのです!

あんまり見られないという彩雲が!!!

見たときは、あんまり神秘的すぎて、こんな私のことも受け入れてくれてるのかしら、なんて都合よく解釈したんですけど。

その日のニュースで彩雲のことを知り、主人はのほほんとそういうこともあるんだね〜とか言ってたんですが、私はもう、主人に嫁ぐことを決めてしまいました。そしてそれを告げて、やっぱり主人に驚かれて。笑

次の日はもう名古屋に帰る日だったので、主人にこんな田舎でいいの?と聞かれたとき、私は、あなたもここもまだまだ全然知らないことばかりだけど、ここにいて、少しずつ知って、そのたびに好きになると思いますと心から伝えて、

主人が忙しい忙しいと言っているのも構わず、私は単身、思い切りよく主人に嫁ぎました。

本当に思い切り良かったなぁと思います…

というか、引っ越しに次ぐ引っ越しとかも家族のせいでやらかさざるを得なかったので、引っ越し慣れしてたということもあるかなと…(ゲフンゲフン)


まぁ、そんな訳で八戸に来た私。

ありがたいことに、主人のご両親や妹さん、親戚の方たちにも喜んで迎え入れてくれて、しばらくは義父が話す南部地方と津軽地方の違いとかすごい教えて頂きつつ(元小学校の先生だから飽きずに何度でも話してくださった)、冬の寒さに凍えつつまったりと過ごしておりました。

春になって、ハロワに行ったりしてる中で、そこでようやく、伝統工芸のことを思い出しました。

でもハロワじゃ求人ありません。

というか、何があるのかもわからない。

というわけで、インターネットで検索して出てきたのは「津軽こぎん刺し」。

ん?…津軽?

義父に八戸は南部地方って聞いたからこれは違うんだな。再検索。

「南部鉄瓶」

……て、釜でも作らないと無理じゃない?!

もっと身近なの無いかな?!

染めものまではいかなくていい(冬寒いし)、あんまり難しいとダメだし…てだから南部地方で!身近に感じるような!伝統工芸!と再検索。

…で、やっと出てきました「南部菱刺し」。

そのメモ持って、ハロワ行ってみました。

求人ないっ!!!!

…ハロワ行けば何とかなると思っていたので、わりとショックです。

ハロワにあるかどーかは知りませんが、鳴海や有松絞りは仕事として成り立っていました。

だから同じ伝統工芸として、それを職に出来れば…私不器用だけど…とか思ってまして。

でも諦めなかったんです。

ちょうどそのとき東京の方が南部菱刺しの本を出しましたし、それで何を揃えればいいのかわかりました。

そして、刺し方わからなくて困った私の目に飛び込んだのは、Facebookのまちぐみページ。まちぐみはその頃菱刺し体験を行うことをしはじめたばかりでした。

何も情報がないところから、一気に習えるところまで辿り着いた私。もちろん飛び付きました。教師が女子高生だって構いません。やり方さえ教えてもらえれば、菱刺しを楽しめるようになる。

何度かまちぐみラボに行って、菱刺しがわかってきたとき。

それまで増える気配がなかった友だちがいて、寛いでいられる場所も見つけたんだなと感じました。

八戸の盛り上げ方なんかわからない。

菱刺しやりたいって気持ちだけでもいい。

あとはやれることやればここにいられるんだ。

そう理解してすぐに、私はまちぐみに入りました。


…そして今に至ります。

恥ずかしい話ですが、こんなに自分が情熱的だと思ってませんでした。

引っ込み思案で何も出来なくてオロオロするだけな私としか思ってませんでした。

いつもは一歩を踏み出すのも怖いことでも、直感的にでもこれだ!と思ったことに躊躇いがなさすぎるのが私。

でも、それでいいやと今は思います。


名古屋の家族は、私が八戸に行って、私に任せてばかりいた事柄が多くて最初は戸惑ったそうです。

でも1人なら大変でも、分け分けしたら楽だと気が付いたそうです。

私が離れることでよくなることもあるんですね。


私は、主人と二人暮らしで、子どもは出来ません。

でも、それなりに地域に貢献したりして、私なりに今住んでる地域を大事にしています。

その上で、まちぐみで、菱刺しで八戸に貢献出来たらな、と思っています。

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