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どこにでも持ち運べる〈聖域〉、とか。

駅前のロータリーを抜けたT字路で、右から幌をあげたロードスターが過ぎていった。

眼鏡をかけたおじさん。というか、白Tシャツのオヤジ。オヤジと呼ぶ方がなぜだかカッコいい感じがしてしまう。なぜだろう。

ロードスターは白髪頭×眼鏡の男性が似合う車だと勝手に思っている。

で、そのあとセブンの駐車場で、音楽をガンガン鳴らしたトラックが隣に止まった。お兄さんが降りて来て、音楽は鳴らしたままで、店へ入って行った。朝からご機嫌でいいな。こっちもちょっとうれしくなった。

なんか、各自楽しいものを持参して、それそれの場所へ出かけていく感じが楽しい。それで、朝のコンビニがわりとすきだ。

↓ もうずいぶん前のポッドキャストなんだけど、何度も聴き返す回があって、ものすごくざっくりと言うと、自分の中にくつろげる聖域を持て、と。そういう習慣を持て、という話なんですが、どういうものを以て聖域を作るか、がめっちゃ大事なポイントだなと改めて思います。

たとえばですけど、家でプシューとか飲み物を開けて、すきな動画を見るってのは、もちろん聖域。わかりやすい聖域。

じゃあ、なんか聖域感など全然しない、アウェイな環境にいる時こそ持ち出せるポータブルな聖域があるといい。それはつまり、想像力ってことだと思うんですけど。そこから先は無限に選択肢が分岐する。

千葉雅也が言う「全芸術」みたいな鑑賞態度で生活に臨む、みたいになってくると思う。

みたい、みたいと言ってばっかですが、そういう連想癖も、わりに便利な聖域道具だと僕は思います。特に、あなたが混んだ電車の中にいる時なんかは。


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