見出し画像

クリエイターは、質より量

ブログの見出し画像をどうしようとか、他のSNSで自分の文章をどうやって表現しようかとか、考えて迷って、画像探したりなんやりしてたら、いつの間にかあと少しで日付が変わる時間帯になっている。
毎日更新をするなら、その日の出来事はなるべくその日の夜にまとめて書きたいのだけど、1日こんな↑作業しているからもう目首肩がカチカチで動けなくなるのと、頭も疲れていてとても文章なんて書く氣になれない。


note毎日更新、止めようか。笑
自分と話し合った結果、

・何者でもない私は日々のイベントが少な過ぎるので、特別書きたいことがない。そのため、毎日更新という目標を掲げなければ、また更新は3日坊主になる。

・書きたいことが特になくても、こうしてつらつら書いている間に思考や感情が整理されて、氣づきがある事が多い。
そのため「自分の考えを世界に表現するため」の外向きのツールではなく、「自分を発見するため」の内向きのツールとしてブログは使うべき。

という答えが出たので、無理のない範囲で継続することにしました。
我ながら、いや本当にそうだわと納得してしまった。


すごく影響を受けた人たちが、ブログの才能がずば抜けていたものだから、自分もそういうブログを書きたい、人の心を動かす言葉を書きたいと、憧れてブログを始めた。
しかしこれが何度目の再開かわからないぐらい、過去に3日坊主で終了させている(笑)

その原因が、「人の心を動かしたり、読んだ人の学びになるもの=内容のある記事を書かなければならない」と思っていたこと。
上記の通り、痛いプロフィール書いてるけど結局のところ何者でもない私にとって、日々イベントと呼べるイベントなんて何もない。
だから世界に伝えたいことなんて、今の私には何もない。
書けなくて当然である。


ところがそれを止めて、イベントと呼べなくてもその日あった小さな出来事と、その日に思ったことや考えたことを書いてみたら、もういくらでも書ける。
しかもただ書けるのみならず、上記の通り書いている間に思考や感情が整理されて、氣づきが毎日あるではないか。
自分にとっての氣づきではあるけど、もしかしたら誰かにとっての氣づきにもなるかもしれないような、そんな氣づきが産まれるではないか。


「クリエイターは量より質だと思っている人がいるけれど、逆である。質より量である。」
とどなたかが言っていたのを思い出す。
もちろん無理して産み出す必要はないけれど、この言葉の意味を実感した。
産むために創るのではなく、創るから産まれるのだなあ。
これ、作品を創る時に限らず、何かに取り組む時すべてにおいて当てはまるだろうか。それとも一概には言えないだろうか。
検証してみたい。




愛子

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