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模範的生徒と呼ばれるのが嫌で。試した結果の今の自分。

義務教育期間の成績は
【中の上から上の中】
クラスでトップにはなれないが
学年で三十番以内には入っていたと思う

自分では真面目とは一つも思わないのに
周りから真面目と思われていたのは
肌感覚で察してのことだ

小学2年生のころ
共働きのご両親の友達の家に遊びに行き
スーパーマリオブラザーズにかじりついていた

「うちに今、おやつがないんだ」と
親御さんが用意してくれていたお金を持ち
近所のファンシーショップで
ゲームをしながら食べる駄菓子を買ってもらった

家に帰り、母に話すと
母は大激怒した

「一体いくら払っていただいたの!」
そんな事を言われても
一緒に買ってもらったものだから
正確には分からない

電話を掛けて聞いてみるも
返事は「分からないよー」

母にすぐにファンシーショップに連れて行かれ
自分が食べたものはどれなのか問いただされた

数百円を握りしめ
大号泣しながら
母と友達のお宅に返しに行った

友達のお母さんはキョトンとし
うちはいつもこうだからといった様相

何だか申し訳なさと恥ずかしさで
それ以来その子の家に遊びに行った記憶がない

小学5年生のころ
地主のうちの子が
「卒業した春休みには、みんなをうちに呼んでお泊まり会やろうね」
度々そう言っていた

私もやってみたくて、母に
「私もお友達、家に泊めても良い?」
と、聞いたらば
「我が家は泊めませんし、泊まりに行ってもいけません」

自分は泊まりにも行けないということが
その子には言えなくて
話題が出るたび「聞いてみるね」と答えてたけど
結局私は卒業した春休み
招待すらされなかった

中学に上がると環境が変わり
気の合う友達が出来なかった

やることは勉強しかないので勉強した
勉強が出来るようになってくると夏休みなどの
宿題を代理でこなすようになった
いわゆるパシリである

次第に優等生でいることが面倒くさくなり
今度は勉強するのをやめた

1番前の席なのに
授業中も後ろの席の子に話しかけたり

席替えで1番後ろの席になれば
教科書にマンガを重ねて読んだ

不登校の友達が保健室に来てると聞けば
保健室に顔を出し、休み時間中おしゃべり

私も体育で苦手なバレーボールのときには
お腹が痛いと嘘を言って保健室にいた
保健室の先生は
理由も聞かずにそこにいさせてくれた

思春期のころは生理周期が安定せず
何の準備もしていないとき
大量出血を起こした
保健室でいろいろとお世話になり
その時にも気持ちが落ち着くまで
戻りなさいとは言われなかった

どうしてか分からないけれど
サボりたいわけじゃないのに教室に行けないとき
保健室を通り過ぎる他のクラスの先生に
「どうした? 授業は?」
と言われると、すかさず
「今日はちょっとね、調子が悪いのよね」
と、フォローしてくれた

不思議なのは社会の先生が嫌いだからと
保健室にくつろぎに行くと
理由なんて一言も言ってないのに
「ダメ、教室に戻りなさい」

保健室の先生には全てお見通しなんだなぁ

見てるし、分かってくれる

そんな先生に私もなりたい
将来の夢は保健室の先生に決まった

勉強に身が入らなかった中学2年こそが
内申点が大切なときで
すっかり出遅れた私は
学区で一番の高校には届かず

2ランク下げた高校を選んだ

残念な想いを抱きながらの進学も
すぐにそんなことはどうでも良く
とても楽しく過ごせた

まぁ、ゆるい学校で(笑)
校則って? みたいな。
パーマ掛けたりカラー入れたりお化粧したり

私にはあの母がいるので
校則違反など、とんでもないと思っていたが
母に「高校に入ってから楽しそうだねー!」
「まぁ、よく喋るねー」
と、言われたことから少しずつ冒険を始めた

高校1年
まずは、何と言ってもスカート丈であろう
校則は膝が隠れる程度の長さ
マイルールは膝上15cm
それからマストはルーズソックス

高校2年
小さいころからくせ毛でいじられたクルクル頭
パーマじゃなくストレートパーマをかけ
サラサラ髪の毛になった途端
モテ始めた!

髪色も冒険したい
でも風紀は乱したくない

水泳部だった私は夏、朝練夕練を重ね
プールの塩素と紫外線を利用し脱色を試みた

と、同時にスプレータイプの脱色剤を毎晩シュッシュ

ある時、母に
「なんか髪茶色くない?」
と、聞かれるも、
「毎日泳いでるからかな〜?」
髪の脱色と同時進行で
私の肉体も見事に逆三角形
誰も疑わなかった

高校3年
髪色を抜きたいわけじゃない
ピンクにしたいという欲が生まれた私

シャンプーに混ぜるヘアマニキュアで
毎晩少しずつ色を入れていく……

誰も1日やそこらでは気付かない

夏も終わりのころ
進路についての三者面談で
担任「ひーさんはとても真面目で目立った校則違反もない模範的な生徒で……」
「ん? そんな髪色だったか?」
母「部活で髪も肌も焼けちゃってね」
ひ「あ、はい、まぁ……」
担任「で、将来は目標はあるのか?」

(おっと、髪色はスルー? 納得しちゃってるよ……)

ひ「小中学校の保健室の先生になりたいです」
担任「初耳だな。お母さんとは話したりは?」
母「はい、大学はどこかなどまではこれからですが、なりたいものは中学生のころから決まってるみたいです」
担任「そうでしたか、全く把握できてなく申し訳ないです。どんな学部を考えてる?」
ひ「国立大だと教育学部みたいですけど、保健室の先生を養成する女子大も見つけました」
担任「うちの高校から現役で国立大は推薦組しかなかなか難しいぞ?」
ひ「2次試験は小論文なので、小論文は予備校でも徹底的にやってて得意です」
担任「問題はセンター試験対策だなぁ、、」


当時のことなのか
今もそうなのかは分からないが
女子大の受験では「見た目」も
評価対象だったのではないかと今になり思う。

現役では第一希望の国立大学も女子大も
全く分野の違う大学も根こそぎ不合格……

浪人中は、ピアスを五個あけた
模試で合格判定が一つずつ上がるたびに
ピアスを一個ずつ

国立大はかなりハードルが高く
一浪くらいじゃ間に合わなかった
ここにきて仇となる
【中の上から上の中】の成績
クラスでトップになれないわけは
数学に関してはクラスで一番を譲ったことはない
問題は国語・英語・社会
これが足を引っ張った
センターは全教科ボーダーを超えることが肝

国立大は半分諦め、抑えの大学に全力を注ぐ
理系大学なら英・数・理でよい
英語は調子がよくても6〜7割しか取れないなら
数・理で9〜10割行ったれ!

不思議なことに、
挑戦した中で一番偏差値の低い女子大に落ち
全く別分野の大学に合格した

そんなこんなで私は
保健室の先生にはなれない道を選ぶこととなった

茶髪でピアスジャラジャラで受験しに来たやつを
女子大は受け入れてくれなかったのだろう

きっと、縁がなかったのだと思う

本当に模範的でない人は先生にはなれないんだな

五歳離れた妹は、髪を染めたことなんてなく
学区で一番の高校に入り、国立大を卒業し(笑)
今、教員をやってますょ(小声)

髪を染めた日
それは私の人生の道を作った日かもしれない。





#髪を染めた日


ありがとうございます😊 小さくても沢山の幸せを届けられるように頑張ります!