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「返信無用です」に対する私見と意見

記事を書くのはご無沙汰になってしまいました。
ワークライフバランスを見直していました。
私にとってnoteとは何か。
答えは模索中です。
と、同時に、私は実生活における自分の立場を甘く考えてはいまいか? と、こちらについても思うところがある現状です。
noteを現実逃避に使っているのだとしたら、きちんと向き合って創作活動をされている方に失礼だなと。
であれば、実生活を通してでも、noteの街の住人としても、充分に満足出来るものを投稿していきたいなと考えています。
例え、記事の投稿頻度が落ちたとしても。

その割につぶやき多過ぎますよね🤣 って、お茶目な部分は残しつつ……ヒィヒィ💦

気を取り直して!
以下の記事は、5月に投稿した記事なのです。

記事内で、どなた宛か明記しませんでした。
今、打ち明けると、この記事は山根あきらさんへ向けて書いたものでした。
当時、相互フォローとなって間もなくの頃だったと記憶しています。
note記事よりXでの大喜利でリプライしてくださる方という印象でした。
ようやく、お人柄の雰囲気を掴めてきた頃に、エッセイ|死とは夢を見ることが二度とないということだを拝読しました。

まだまだ作品を読ませていただきたい、でも、つい最近交流を始めたよく知らない人に言われたところで何の説得にもならないだろうし、私の過剰解釈で迷惑をかけても悪いしな……と、宛先不明でお手紙を出しました。
宛先不明にしておいたので、noteについて悩んでいる人に何らかの気持ちが届いたら、それはそれで記事として成立しますし、何より自分の心が落ち着いたからです。
先日、山根あきらさんが、伝えたい人に〇〇さんへと記してお手紙を書かれていらっしゃったので、今になりましたが、あの時のあの記事は、山根あきらさんへのお手紙でしたと告白した次第です。何の脈絡もなくぶしつけにすみません💦


今、この「お手紙」をまた届けたい方がいらっしゃいます。
でも、今はまだどなた宛にとは言えません。
宛てたところで、私の自己満足にしかならないのではないか? と、思うからです。

タイトルの「返信無用です」に対する私見と意見について。
ここからの内容は私の考えであって、誰かの考えを否定するものではありません。
一つの捉え方として「あぁ、ひーさんは、そう思うんだね」と、感じてくだされば幸いです。

初めて、「返信無用です」を見たのは、自分のコメント欄だったか他のクリエイターさんのコメント欄だったかは覚えていません。

その言葉が、優しさから出る言葉なのか、シャットアウトを意味する言葉なのか、私には分かりませんでした。

結構、皆さん使われてますよね!
だんだんと、あぁ、相手の負担にならないように、もうここまででいいですよ。の、意味が多いようだ……と、言うことが分かってきました。
なので、私も何となく使ってみました(笑)

でも、いただくと、やっぱりどこか違和感を感じてしまうのです。

「いやいや、そうじゃないんだよ」が言いたくても言えなくなってしまったり、「ありがとう」すら返信させてもらえない寂しさを感じてしまうのです。

もしも「返信無用です」ではなくて、「ここで失礼しますね」だったら、それ以上干渉はせず「ありがとうございました」「またね」の返信は許されますよね(笑)

「返信無用です」って、凄くグサッと刺さるんです。私だけでしょうか?

分かるんです。強い意味はなく、相手を思い遣っている言葉だということは。
でも、寂しい。とっても。

お手紙を届けたい方。
私がこれは勝手に思っていることなのですが。
沢山沢山、本当は言いたいこと、訂正したいこと、分かってもらいたいこと、経緯、真実、などなど凄くいっぱいあったと思います。

でも、ご本人が要求していない優しさによる「返信無用」「休め」「眠れてる?」
これ、刺さったんじゃないかなぁって、私はとっても心配しています。
それを押しても伝えたいことあったのかもしれないよねって。

私は、自分が「返信無用です」に落ち込むのに、あの時、いらぬ優しさを発動させたと思っています。
うん、そう、休まなきゃいけないし、休ませなきゃいけなかった。誰がどうみても。
でも、別の言い方が出来なかったかなって。
言いたいこと言い終わるまで、何で待てなかったかなって、それを、今、私自身に問いかけてます。

公であってもなくても、
話、聞いてあげたいです。


ありがとうございます😊 小さくても沢山の幸せを届けられるように頑張ります!