終活という名の送り出しは嫌なイメージだと思わない?
いつ頃からだろうか?
「終活」という二文字がネットで踊り始めたのは・・・
間違いなくコロナ禍の前からで
ネットの一角を陣取っていた
新聞紙上にも載っていた
そうそうたる企業名が並び
偉そうな人が推薦したり必要性を
訴えたりすると、それだけで嫌な気になる
高齢者が多いのではと思う
早く人生の店じまいをせよ!
と世間から迫られるのは誰でも嫌だ
不思議に家族から
それは子供たちから「早く片付けてね」と迫られるのは
どこか子供の頃にひっくり返した玩具を早く
片付けなさいと親から小言を言われる感じと似てる
ので、これは許せる
つまり、どこの偉いさんか知らないけれど
見ず知らずの人から、もう歳なんだから
社会のゴミになるようなものは自分自身で早く
片付けなさい・・・とは言われたくない
確かに、少々、身体にガタは来たものの
まだまだ生きて楽しんでるのに大きなお節介だと
誰でも心の中で反論してる
中には、早く蓄えた財物の処分を公正証書に記しなさい
と言われると今世の姨捨山に追いやられそうで
「生きてるんだ!」と叫びたくもなる
それでか社会的信用の高い金融機関等の宣伝は
減ったように思う
しかし、社会的信用度の高い金融機関なら逆だろう
と思う人たちも多い
つまり、老後の資金の心配は無用です
ほら、この通り開かれた窓口では高齢者優遇の
有史を積極的にやってますから、ご安心くださいという
宣伝のひとつくらい始めたらどうだ?
名のない処が終活の意味も意義も無視した
安売り競争、よろしく繰り広げる宣伝には
はしたなささえ覚えてしまう
高齢青春という言葉
先日、筆者が作った言葉だ
本来の終活とは高齢青春を楽しもうという
ことではないのだろうか?
もちろん・・・
・健康面
・財政面
・人脈(家族)交流面
・地域社会面
など高齢者だからこそ熟年者として
配慮すべきことも多いが、それは
さらに人生を楽しむための配慮ではないのだろうか?
だから、ロジックが間違ってんだよね!
高齢青春の楽しみ方をみつけて
思い存分に楽しむぞとなってから
身内や社会への配慮として
いわゆる終活という順序が大事なんだと思う
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