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人の数だけ「忘れられないクリスマスの思い出」がある。多様性の時代、個性の時代に「恋を成就」させるには「恋の戦略」が不可欠

「お母さん、ポケモンのカセット見つけたんだけど」
その日、我が家のサンタ制度が終わった。

私は母親の隠していたクリスマスプレゼント、
『ポケットモンスター ピカチュウ』のカセットを
棚の奥から発見してしまったのだ。

あのときの母親のがっくりとした顔と言ったら、
いまでも忘れられない。

あのクリスマスは、
母親にとって「ちょっぴり悲しいクリスマス」に
なっているかもしれない。

クリスマスへの思いは年代によって変わる

母親に対して
「そんなに悲しむことかな?」と当時は思ったものだが、
親になったいまだからこそわかる。

自分の子どもには、
できればこんな“サンタ卒業”は迎えてほしくないな。

今年もフィンランドのサンタ村から
手紙が届くのを楽しみにしている娘を見ながら、私は思うのだった。

クリスマスに対して抱く思いは、
年代やライフスタイルによって大きく変わってくると思う。
幼少期は「サンタがプレゼントをくれる超ハッピーな日」
だったわけだが、
プレゼントを発見してしまった次の年から
「ご馳走を食べて、お小遣いをもらう日」に変わった。

いまとなっては私がサンタ。
夫とささやかなプレゼント交換をしつつ、
どちらかというと「子どもの喜ぶ顔のために精一杯頑張る日」だ。

ただ夫と出会う前の、
恋愛にうつつを抜かしていた時期はまた全然意味合いが違った。

たとえばクリスマスに彼氏の浮気が発覚するとか、
直前に振られるとか、
浮気相手にあげるはずのプレゼントをもらってしまったとか。

あとは税込み398円の仏花をもらったとか、
とにかく最悪な思い出しかない。

そういう年は「クリスマスってホント最低」と
思っていたわけである。
みんなハッピーなプレゼントを貰えるわけじゃないんだぞと、
彼氏自慢をしてくる友だちの話を聞きながら思ったものだ。


みなさんはどうだろうか?
クリスマスに、いまどんな印象を抱いているだろうか。
人それぞれ違うのかもしれないが、
少なくともクリスマスに仏花をもらった女が
ここにいることを思い出し、ちょっと笑ってくれたらうれしい。

ほろ苦いクリスマスの思い出

さて、「聖なる夜」と呼ばれるクリスマスに
散々な思い出を積み重ねてきた私だが、
忘れられないほろ苦さを経験したことがある。

あれはまさに、直前に彼氏に振られ、
少しさみしいクリスマスを迎えようとしていたときだった。
当日はバイト仲間でシフト後に集まり、
バイト先のチキンを買って、
女5人で朝までパーティーをする計画を立てた。

その日、一番シフト上がりが遅かった私。
クリスマスのチキンを売り切り、
シフトを上がって休憩室で店長たちと談笑していると、
一通のメッセージが入る。

つい先日私を振った彼氏…
元カレの親友である、康平からだった。

「いまバイト先の近くにいるんだけど、一杯飲みに行かない?」

これからパーティーだから、
と断ろうとしたがどうも様子が変。
いつもおちゃらけて明るいのに、
やけにテンションが低いのである。

「どうかしたの?」
「彼女に振られたんだよね、しかも浮気されてて」
どっかで聞いたことのある話だな、私か。

一杯ぐらいならいいかと仲間に連絡を取ると、
「まだみんなそろってないから大丈夫」とのこと。
お言葉に甘えて、私はパーティー前に一杯飲みに行くことにした。

元カレの親友と過ごす、ビール一杯分の時間

待ち合わせ場所に行くと、
ブランドの紙袋をぶら下げポツンと立っている男友達、康平がいた。
その紙袋は、案の定彼女にあげるはずだったプレゼントだ。

「いる?俺いらないからお前にやるよ」
「いやいいよ、何買ったの?」
「財布」

なんとハイブランドの長財布を買ったんだという。
大層高そうだったが、値段は聞かなかった。
「明日質屋に持ってって売ろうかな」と
寂しそうにつぶやく横顔をいまでも覚えている。

康平についていって店に入ると、
カップルや学生で店内がごった返していた。

「ねえ、予約してないから入れないよ。満席じゃないかな」
「いや大丈夫、すみません予約していたんですけど」

まさかと思いつつ、黙って席に案内される。
とりあえずビールで、と頼んですぐ、たまらず私は訪ねた。

「もしかして彼女とのデートで予約してたの?」
「そう、二軒目に丁度いいかと思ってさ。
一軒目は仕方ないからキャンセルしたよ」

繁華街が一望できる、お洒落なバーだった。
通された席は景色がよく見える、窓辺のソファー席。
こんないい席、予約していないと通してもらえないだろうね。

悲しい横顔に、かける言葉も見つからない

「それでその、別れたって?」
運ばれてきたビールを一口飲んで、私は切り出した。
「そう」
地の果てまで落ちたのか、
と言いたくなるくらいどん底なテンションの康平。

「なんでその、浮気されたってわかったの」
「それが、見ちゃったんだよ、ホテルから出てくるところ」
「ええ」
しかもクリスマスイブの朝に、である。

「俺、きょう早番で出勤早かったんだよね。
それでいつもは自転車でのんびり来てたんだけど、
きょうは電車だったの。
駅から職場まではどうしてもそのホテルの前とおらなきゃいけなくてさ、
通ったらその、出くわしたわけ」最悪だ。

「しかもさ、相手誰だったと思う?」
まさか。
「お前の元カレだよ」
「つまり康平の親友じゃん」
「そゆこと」

ひどい展開だ。
まるでドラマだ。
私をついこの間振った元カレと、
康平の彼女が浮気していたというのだ。

康平にしてみれば、親友が自分の彼女とホテルから出てきたのだ。
「最悪でしょ?はーあ、俺もう、つらいやぁ」

そう言って窓の外を眺める康平に、
掛ける言葉もなかった。

私ももちろんショックだったのだが、
康平の気持ちを考えるとそんなの大したことないダメージだ。

これまで、失恋した女友達を慰めたことは何度もある。
「パーッと遊んで忘れようよ!」
なんてさんざん騒いだり、
シクシク泣いている友達の肩を抱いて
朝まで愚痴に付き合ったこともある。

しかし、クリスマス当日に
自分の親友が彼女と浮気している現場を目撃し、
デートの計画も何もかも全部水の泡になった人は、
どうやって慰めるべきかわからない。

私は康平の悲しい横顔をただ見つめ、
ぬるくなっていくビールを口に含むことしかできなかった。
いつもよりも、お酒の味がやけに苦く感じた。

このあと私は仲間とのパーティーに向かったのだが、
パーティー中もなんだかモヤモヤとしていて複雑な気持ちだった。

次の日康平に連絡してみるものの、
返事は「昨日ありがとー」とスタンプのみ。
私は、それを見てますます苦い気持ちになるのだった。
楽しいパーティーと康平の苦い顔が入り混じって、
複雑な感情を抱いた。

誰もが幸せなクリスマスを迎えてほしい

この年のクリスマスは、
康平にとって本当は
「大好きな彼女と過ごす最高な一日」になるはずだった。

なのに蓋を開けてみれば、「トラウマ」になってしまった。

元カノにしてみれば、
幸せハッピーなクリスマスなのかもしれない。
私の元カレだってそうだ。
しかしその幸せは、誰かの悲しみや犠牲のうえで成立している。

私はこのとき
「幸せってそんなもんだったかな」と深く考えるようになった。

幸せが犠牲のうえに成り立つのなら、
世の中のクリスマスは半分が幸せで、
半分が最悪ということになってしまう。

そんなはずはない。
現に私が子どものころ、
クラスメイトのなかでクラスメイトに最悪な気分を
抱いている人はいなかった。

ただ幸せが犠牲で成り立つのも嘘ではない。
だって私は子どもの喜ぶ顔を見るために、
時間を犠牲にして一生懸命働き、稼いでいる。

だけどそれを「嫌な犠牲」と思ったことはない。
むしろ嬉しい犠牲だ。
康平だってそうだった。
彼女のために、
仕事の勤務時間を早めたり、
おしゃれなお店を探して予約したり、
お金という犠牲を払ってプレゼントを買ったりしたわけだ。

その犠牲はすべて、彼女の笑顔を見るため。
クリスマスの印象は人によって違う。
「リア充爆発しろ」なんて言葉があるくらいだから、
いいイメージを抱いていない人も多いだろう。

しかし康平のように、
誰かのための努力が水の泡となり、
トラウマになってしまう人は少人数であってほしい。

誰にでも平等に訪れるクリスマス。
康平のあの苦い横顔を思い出し、
できることなら、
みんなが楽しい一日を迎えられたらいいのになと思うのであった。

陰陽師とは陰陽五行説

世の中は、すべて陰と陽、つまりはプラスとマイナスの
バランスで成り立っているという考えで、そのエンジニアというか
熟練者を陰陽師という

日本の歴史では「安倍晴明」が有名で
平安時代に宮廷で現に活躍した人であり
現在でも京都には「晴明神社」がある

人間という生命も、植物や動物の命を奪って、その命を喰らうことで
維持発展させているのが現実の世の摂理
また人間は人間で構成される世の中で人間同士の競争の中で
誰かを踏み越えることで、その分、優位に立てることで
「楽」を味わい、それを「喜び」として「満足」している

だから、誰かの「悲しみ」の裏側で誰かが「喜び」を感じている
というのも「宇宙」の「真理」なのかもしれない
自然とか社会というのは、そういう弱肉強食の「掟」のなかで
維持され発展している

さて、寺婚サロンとしては・・・だから誰かを不幸に陥れても
幸せを手にしようと叫ぶのではない!
そのような「宇宙」の摂理をそのまま受け入れながらも
自分自身が一番満足できる方法は何かのか?
を追求すると、そこに登場するのが「戦略」という考え方なのだ

自分の気持ちと関係する事象や人々の気持ちを
どのように並べ替えて、どのように調整すると最も確実に
目的が達成できるのか・・・という自然科学を「戦略」という

寺婚サロンが提唱しているのは・・・
多様性の時代で個性の時代でもある現在で「個」の満足を
求めるには「恋の戦略」が不可欠
寺婚サロンは、会員様ひとり一人の個性と意志に即した
「戦略」をオリジナルに構築するプログラムがあります
いつでも、ご遠慮なく、お申し込みください



   オンライン寺婚サロン
         info@studio-show.com


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