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渋谷のんべえ横丁に 「鳥重」という焼き鳥屋があった

渋谷のんべえ横丁に「鳥重」という焼き鳥屋があった。

カウンターに10人座ればいっぱいになるわずか2坪のお店。
お世辞にもきれいとは言えないこの店は、70歳になろうかというお母さんがひとりできりもりしていて、びっくりするほど美味しい焼き鳥をびっくりするほど安く食べさせてくれた。

よく手を動かし、よくしゃべり、よく笑うお母さん。
2012年に店を閉じるまで、休業日以外は、雨の日も風の日も嵐の日も東日本大震災の日も営業を続けて、ひたすら焼き鳥を焼き、スープを作り、お客さんをもてなしていた。
曲がったことが大嫌い、かなり頑固な昭和の女性。
お母さんこと東山とし子さんと「鳥重」の思い出を書こうと思う。

初めて「鳥重」に行ったのはいつだったのだろう。
2009年ごろか。
「鳥重」の常連だった上司が、「すごい店があるんだよ」と連れて行ってくれた。
行って驚いた。
狭いにも程があり、きれいにも程遠い。
2坪のカウンターだけの店。
隣の人と肘がぶつかるから、少し斜めに座らないといけなかった。
カウンターの中には当時70歳近かったお母さんがいて、ちょっと高い声で注文を取り、焼き鳥を焼き、ドリンクを用意して、合間にお客さんともよくしゃべり、くるくる動いていた。

「鳥重」は完全予約制で18時、19時半、21時半の3回転制。
カウンターに座るとまず出てくるのが、お椀にたっぷりの大根おろしinウズラの卵。
好きな焼き鳥と飲み物を注文して、出てくるのを待つ。
喉が渇いて早くビールが飲みたいと思っても、待つ。
ビールと催促すると、「ちょっと待ってて」とぴしゃりと言われてしまう。
お母さん一人で10人のお客さんを相手にしているのだから、そんなにスピーディにはできない。
お母さんは10人分の注文を確認して、それぞれの最初の一串を焼き台に載せたら、ドリンクを用意する。

初めて「やわらかいモツ(レバー)」を食べた時、レバーは好きじゃなかったのに美味しさにうなった。
大ぶりで肉厚な「トリ」はジューシーで、これまで食べていた鶏肉とは全然違う味だった。
手作りのだんご(つくね)はハンバーグかと思う大きさで、
ナマと呼ばれるレバーとささみの生もめっちゃ美味しかった。
〆は大根おろしのお椀に注いでくれるスープ。
これがまた心の臓にしみる美味しさ。

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なんだここ。美味しいにも程がある。

さぞかし高いんだろう。

そう思ってお会計でびっくりした。
3人で行って6000円。一人2000円。
ややや安い。安すぎる。
すごい店だ。

あとから「鳥重」が食べログで1位をとったことがあり、奇跡の焼き鳥屋と呼ばれていること、
1951年から代々60年近くも続いていることを知った。

それから数年間、上司が予約を取ってくれた時に何度か通った。
なかなか予約が取れないから、数えるほどだったと思う。
行くたびに、美味しい思いをさせてもらった。

自分の母親でもない人をお母さんと呼ぶのは抵抗があるが、お母さんはお母さん以外の何者でもなかった。
焼き鳥はものすごく美味しいけど、料理人という感じではない。
カウンターの中にいるけど、割烹の女将のような粋な感じはなく、スナックのママのような色気はない。
両親・兄から引き継いだ店を20年以上一人でやり、人気店にしているのだから手腕があるはずなのに、経営者の顔はない。
丁寧とざっくばらんが絶妙に混じった言葉使い、率直な物言い、時々てんぱってちょっと焦る姿…。
まさにお母さんだった。

飲み過ぎたお客さんには「もう飲むのをやめなさい」とぴしゃり。
「もう一杯」と頼んで、も「ぶつよ」と言ってお酒は出さなかった。
私もお母さんから𠮟られたことがあった。
お酒を飲むと食べない上司の焼き鳥を、どうせ食べないからと食べそうになったとき、「食べなくても、とっておいてあげなさい」と。
上司への敬い、他人への気遣い、忘れそうになっていたことに気づかせてくれた。
叱られても嫌な気持ちにならなかったのは、なんでだろう。

2011年、お母さんが「鳥重」を閉めること知った。
上司が、しり込みするお母さんをそれはそれは熱心に説得して、本を作った。
「鳥重」のこれまでとお母さんの人生を振り返る味わい深い一冊が2012年9月に出来上がった。

お母さんが、時々お客さんを𠮟っていた「ぶつよ!」という言葉をタイトルに、「ぶつよ!」―奇跡の焼鳥屋「鳥重」名物お母さんの元気が出る言葉」とした。
お母さんの働き続けた人生と、凛とした人柄伝わってくる。
巻末にあるお母さん手書きの「皆さま、ありがとうございました」のページには、そうそうたる方々のお名前がある。「鳥重」が長年にわたり、多くのお客さんに愛されてきたことの証だ。

本

今も買えるのだろうかと検索してみたら、あった。
Yahoo!shoppingとAmazonで価格が違い過ぎるのが謎。

2012年年末、たくさんの呑べえや食いしん坊に愛された「鳥重」は、60年余りの歴史を閉じた。

その後、一度だけ、お母さんと上司と人気の和食店に行ったことがある。
いつもカウンターの中にいたお母さんが、おしゃれをしてカウンターのこちら側で自分と並んで座っているのは不思議だった。
近くで見ると肌がとてもきれいだった。
ボリュームの多いコースを「美味しいわね」とぱくぱく残すことなく食べていたお母さん。
良き店主だった人は、良きお客さんでもあるのだと思った。

「鳥重」の常連でもなく、いつも上司にくっついておこぼれをあずかるコバンザメみたいで、本を作る時に少しかかわっただけの私を、お母さんが覚えてくれていたのかはわからないが、ずっと年賀状のやりとりはしていた。
年賀状を書くときに、お母さん元気かなと思い出し、元日に届く丁寧な手書きの文字に、ああ元気なんだと懐かしく思う。
そんな淡い間柄だった。

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つい先日、喪中のはがきが届いた。
お母さんは6月に亡くなっていた。

ほんの数年間、会った回数は10回に満たないかもしれないけれど、とびきり美味しいものを食べさせてもらった。
やわらかいモツ美味しかったなぁ。
〆のスープあったまったなぁ。
お店が狭くて隣の人がちょっと邪魔だったなぁ(笑)。
お腹いっぱいになってお店を出る時、幸せだったなぁ。

お母さんじゃないのにお母さんだった東山とし子さん。

あなたの焼き鳥、世界一でしたよ。


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