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体裁の整え方 ~原点はミッチ~

やはり3月ですね。日差しが違います。数日前に積もった雪も溶けるスピードが違います。娘からLineで安否確認があり、ブログ記事を読むように伝えましたよ。あの顛末の説明は大変だから・・。しばらくして「あらあらあら笑」で終了。よかったわ~。説明してたら叱られてたかもしれないから。
今回はラブが株を上げ、私の株が下がるという結果でしたが、ほかの方々に実害がなくてよかったですよ、本当に。

最近は報道や週刊誌も悩んでるのでしょうかねえ。
あげ記事とも言えず、下げ記事とも言えずの中途半端な記事が多くなっているように思いますよ。

それはさておき
今日の話題はミッチの出自に関わる話でしたわ。

私の知っているミッチの祖先は商家で醤油屋から製粉会社にという流れなのですが、皆さんはどうでしょうか?

まず、第一の体裁の話。

確かに正田家は商家で米問屋で豪商かどうかは分からないものの、それなりに米で地域に根ざし名主も務めたそうです。3代目は米から醤油に商売を替えたのは、明治2年に名主制度の廃止があり自由に小作人を使える仕組みから外れたためだろうと思います。

この3代目は本家ですが、ミッチの曽祖父作次郎さんは、分家し横浜で商売をしています。ミッチが舘林で過ごしたとされるのは、戦争中の疎開時期のみです。

ともすれば本家筋と思いがちですが、全く違います。

ただ、代々商売の資質はあったようで、祖父の貞一郎さんはやり手の方の様です。若いころから海外に出かけ見分を広げパンが主食になると思ったのでしょうね。日清製粉の礎を作り手広く商売をしたようです。満州にも会社を作ったりしました。多分、そういう関係で中国で父親の英一郎氏は、ミッチの母親と知り合ったようです。
ミッチの母親冨美さんについては、ここでは書きませんが副島家の娘というのは眉唾と思います。

第二の体裁の話です。

正田貞一郎は貴族院議員という事で、華族や貴族に属する家系かのように思いますが、まったく違います。

貴族院議員には、皇族議員、華族議員、勅任議員とあり、貞一郎氏は勅任議員です。勅任議員の大半は官士で占められており、一部に高額納税者などが入っていることから納税額で選ばれたようですが、わずか10か月で貴族院は廃止になっています。

   
第3の体裁の話です。

ミッチの結婚当初(1959 昭和34)、日清製粉のご令嬢が皇室に入内するという騒ぎで、いかにも大財閥かという感じだったが、上場企業になってまだ10年という会社であった。いわゆるブルジョアではあったかもしれないが、ブルジョワの中でも新参者であったろうと思う。これが粉屋と言われる所以だろうと思いますよ。

ブルジョアとは昔は中産階級、20世紀に入り資産家、金持ちを指しますから、単なる成金扱いだったろうという事です。間違ってはいませんね。
しかし、扱いはいかにも財閥にも近い実業家の娘扱いでした。

   
第4の体裁の話です。

これは前のミッチの話でも書いてますので簡単に。確かに令嬢ではありますが、いわゆる深窓の令嬢とは書かれなかったと思いますよ。


深窓の令嬢とは、上流階級の娘が世俗の汚れを知らず大切に育てられることを言います。こうしたお嬢様は、結婚までにお茶、お花、お裁縫などのほかに当然、文字や文学、算盤などの家を取り仕切るべく教養を身に着けるようですし、外出も一人でなどはないようですよ。
ミッチはテニスとダンスでしたから、全く違います。

こうして体裁を整えてというか、国民に都合のいいような情報を出し入内したわけです。

このやり方はキーさんの結婚の際に大いに役立てたでしょうね。
ちょっとやり方が強引な面も見られましたがね・・・

昭和、平成の初期と違い、二度騙された国民も今は目覚めつつありますよ。あの方たちが何度も体裁だけは取り繕うとしてますが、次々バラされてますね。

何故、体裁を追うのか?  
その立場に立つ資格があるように見せたいからですよ。
その資格がないと言ってるのと同じで、多分本人たちが良く分かってるでしょう。だから体裁を整えないと国民の前には立てなかったのでは?

私は、彼らは根底では国民の支持が無くなるのは怖いのだと思いますよ。
だから赤坂の方が地方の公務まがいに出かけるときは、警備が厳重になっていくのです。

   今日はここまで

       今日も読んでいただき有難うございます。❤️


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