「私の60年・・・」って言うけど① ~妄想の迷路に入ったワ~
今年は秋が長いせいか、珍しく紅葉の時期も長いようだ。
いつもは丸坊主になる木々も、まだ葉をつけたりしている。ナナカマドの赤い実が存在感を増す時期なのに、その多くはまだ葉っぱに隠れている。
そして今年の実は小さいから鳥達は困るだろうなあ・・・
昨日は5年ぶりの秋の園遊会で両陛下や皇族方のお出ましがあった。
敬宮様のお出ましはなく、私は少し気が抜けた状態だったが、学生の間は仕方がないと思い直した。
一方、佳子さんのペルー訪問は飛行機トラブルが続きまだ 目的地についていない。
どこまでもお騒がせな一家であると思った次第、何かの暗示?
いつだったか何の気なしに見ていたXと思うが、美智子さまの記事を
見かけた。
タイトルが「私の60年は何だったんでしょう」女性自身
同じタイトルの記事が見つからず、下の記事になりました。
2019年、即位礼を経て令和となったが
上皇ご夫婦は皇居からあれこれ理由をつけては引っ越さず、
そのためSNSなどでは厳しい指摘が続き
「私の60年は何だったのでしょう」と話されたという。
美智子様は開かれた皇室に尽力されたという。
私の60年は何だったのかという言葉、最初はスルーしていたがよく考えてみると深い意味があるように思える。
60年努力してきた、
60年忍耐をしてきた、
というのが前提にある言葉だと思うが・・・
また努力、忍耐をするには何らかの目的、目指す場所があったのでは
ないか。
少なくても予定には自身がバッシングにあう、批判される ということはなく、 歴史の残る賢皇后であると自負していたのだろうと思う。
そうした批判に対し2020/7女性自身を通し「私の60年・・」と訴え反論したのだろう。
しかし、さすが美智子様は批判にひるむことなく、
天皇ご一家が皇居に引っ越されたのは2021/9で
丸2年も皇居に居座ったのだ・・・
目的、目指す場所とは何なのだろう?
ご自分方が返り咲くため?
秋篠宮に皇統を移すため?
不思議だわ、体力や物忘れを理由に退位されたのに返り咲くって 考える
ことが・・・
特例法を作ってまで退位したのに。
恒久的な、定年式の退位のための法案でなかったから不満たらたらだったというのは有名な話で,
一代限りとした安倍総理に思うところがあったようだ。
睨みが皇族らしからぬ・・・・
上皇は秋篠宮に皇統を移したかった?
美智子様は移しかったようだけど。
上皇は悠仁さんに移したかった?
そのため返り咲いて摂政になるつもりだった?
秋篠宮には皇族の血が流れていないという噂を上皇は 知っていると思う
のだけど・・
だから悠仁さんに移したい?
悠仁さんの父親は秋篠宮か、どうかという噂もあるのだけれ ど・・・
それは美智子さまが秋篠宮に移したいと願っていることと矛盾しない
のかな?
少なくても正田王朝にはならない、元の木阿弥で上皇の血筋になるで
しょう?
噂どうりなら・・・
今上陛下が美智子さまの実子であるなら、こんな変なことは起こらないのではないか?
黒田清子さんも実子なら、いくら自己愛が強くても 娘にはもう少し気を配ったのではないか?と私には思えてしまう。
秋篠宮だけが実子ではないにせよ、自分の血筋と思って育てたのではないか?
それが妹夫婦や秋篠宮への贖罪だったのではないか・・・
真子さんがボーイフレンドに天皇にしてあげる、と言ったように
天皇にすることが密約されていたのでは?
ほらね、私の妄想は止まらなくなってきましたよ!
2016年の生前退位のための国民に向けたビデオメッセージ前後から皇室、
一部皇族の周辺がにわかにざわつき始めた印象がある。
秋篠宮一家の不遜な態度も、このころから更にひどくなったと思うのだ。
今日はここまで・・・
次回は美智子さまの文書回答などから、考えてみたいと思う。
今日も読んで頂きありがとうございます❤️
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