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部屋

昼から夕方までをブロックしていた作業が済んで・あるいは滞って、時間を余す。夕方からのしごとへ前倒しに赴いてもいいし、読みたい本はうずたかいし、けれどなんとなく、呼吸をして過ごす。窓から流れ込む空気はすこし涼しく、日光はあたたかそうで、たばこに火をつける。あの頃の気配がひとりの部屋に満ちてくるのを感じる。浸食する。うすく眠たい。あの部屋はいつも、奇妙にあたたかく淀んでいた。吐いた息ばかり充満してなまぬるく、酸素がうすく、皮膚が延長するようだった。そういう気配。

夢と現実の境界を見失ってオーバーラップするのと、過去と現実のそれとはほとんど同じことで、だから、過去は夢とほとんど同じものだ。たしかに在った事実とはちがう。わたしの中にだけは、過去も夢も、それのなかったときへは不可逆に、あり、よってむしろ現実の手触りこそを疑ってしまうような、そういう心の動きが著しい。現実にこそ現実感が希薄で、過去や夢の感触に比すればなんと鈍麻なことか。睡って起きたときこちら側が現実であるというのは単に整合性の都合であって、わたしは整合性のことをそんなにたいせつには思っていない。最近あまり夢を見ない。過去や夢に、実身体を同期させる向きの、はたらきを、わたしは不幸にも得意で、浮遊する。解離ではなく、むしろ還元のようにすら思う。人類補完計画。

そう思ってみれば読書は、ほかのあらゆる表現の体験としては唯一、過去や夢の営みに似ている。

本を借りるのが苦手です。本を買います。