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「ラブレター」/秘密基地

わたしの(おそらく一生をかけた)関心ごととしての「居場所」。その原風景のことを、その原風景のことをどう思っていたかを、思っているかを、したためたい気分になった。

2日間も寝込んでようやっと自我を取り戻したのが22時、そりゃ夜の終わるまでに眠ろうなんて無理だったのだ。役割を果たすこと能わなかった睡眠導入剤が2粒連れ添って胃の中で泣いている。彼らを泣かせたままに、旧い友人とのやりとりを見返していて、あの頃の感触が手元へ入り込んできた31:30。

「東京での彼(つまり高校卒業以降の彼)」と「わたしの知る彼(高校生のあいだ、それ厳密には、高校1年生の同級生としての彼)」は、わりと、かなりかけ離れていて、そのかけ離れもふくめてわたしは彼のことを全面的に愛している。彼という存在が四次元的にわたしの中ではひとつの物語あるいは神話であり、気色の悪い形容をするならば、(こちらから・ごく一方的に)彼はわたしにとって「運命の友人」だ。ほとんどすべてを代替可能だと斬って捨てるわたしにとっての、唯一の代替不可能な他人としての個人、と言ってしまうことも憚られない。わたしの(現行の)自我は、彼なくしては在りえなかった。これは決して恋愛による盲や、信仰ではなくて、そうであったことも一瞬たりともなくて、ただの事実と、圧倒的な信頼と、愛だ。

かつて、学問サロン(のようなもの)としてひらかれていた一軒家があった。彼がひらいたものだ。白い壁、鋭角な三角形の敷地を螺旋階段で上空へ3階までおし拡げた、すこしいびつな家を借りて、そこをひらいていた。彼もすこしいびつだった。きっと根本的にはそれゆえに、膨大な生徒をかかえる大学の目の前でひらかれていたというのに、そこはすこしいびつな人間ばかりが集まる場所になった。

彼自身は、いわゆる「カリスマ性」のある人間ではない。それは「わたしの知る彼」の話なので、「東京での彼」を見るほかの人々からすれば「全然カリスマ」なのかもしれない。わたしに見える彼は、弱く、しなやかで、果敢で、諦めることを諦めた、すごく美しいだけの、単純に極端に誠実な、ただの人間だ。だから、あの家は後光を拝み有り難がる人々によって繁栄したのではなくて、どちらかといえば霊道を通してみたら本当に霊がうろうろするようになったような、そういう、むしろ目に見えない磁場の引力みたいなものによって混雑していたように思う。わたしからは。

仄暗い気配を出してしまったけれどそれはまた実態とは異なり、たとえば馬鹿騒ぎをした夜の明けたときにはわたしが菓子折りを持ってとなりへ謝りに行くくらい(つまり幾度と怒られは発生した)には馬鹿騒ぎもした。けれど、あの場ではずっと、小難しい話も、他愛のない話も、ひとしい重さでゆき交わすことができた。アレントの読書会と、誰かの本気による「進撃の巨人に出てくる奇行種のモノマネ」に重み付けなどできない。何も重要でなく、何も瑣末でなかった。そこは平場だった。形而下ではひとびとが人格や肩書きや態度を脱ぎ、形而上では概念たちが優劣の紐を解いて、ただ言葉が、きっとただしい、ほんらいの重さだけで、流通していた。そこではなにもかもが否定されることがなかった。議論の上では役割としてもちろん異議や反論もあるけれど、それは人格や肩書きや態度や優劣へ向くものではなく、ただ、ひとしい重さの言葉だった。彼らはみないびつで、だからこそ、とても誠実だった。どう思い返してもわたしの天国はあの一軒家だ。まるでみんな深遠な天使みたいだった。彼は、天国をひとつ成し果せた。彼はわたしのヒーローなのだ。あんなにただの人間なのに。あるいは手狭なことを言えば、わたしよりも彼をヒーローだと思っている人間はいないんじゃなかろうか。ここまで言ってしまうと、もはや信仰だけれど、まあ、信仰でも結構。

わたしは自分のヒーロー像を彼におしつけたくはない。してきたつもりもない。けれどそうだったら嫌だなと思う。そのくらいには愛している。

彼の孤独を、いくらか想像できる。ほとんどは想像できない。わたしは例えばライカ犬の孤独や恐怖を思うように、星の孤独や恐怖を思うように、銀河の孤独や恐怖を思うように、彼の孤独や恐怖を思う。わたしにとって彼は、ただの人間であるというのに宇宙的で、宇宙的なただの人間ゆえの宇宙的な孤独や恐怖というものが個別具体に存在することを想像する。想像できていないということを全く同時に想像する。

その彼がつくった場が、他でもない彼自身にとってどのくらい「居場所」たりえ彼がそのつばさを休める枝たりえたのかは、わたしには、やっぱり宇宙的に見当もつかないのだけれども、

なぜだか、あるいは当然に、あの場はすくなくともわたしにとって「天国」と形容して差し支えないほどに「居場所」であったし、わたしの「居場所」のイデアの原風景も光源も、まぎれもなくあの秘密基地に今もある。


本を借りるのが苦手です。本を買います。