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ライブハウススタッフを辞める

掲題の通り、田中類というにんげんはとある三軒茶屋のライブハウスの内側から出てゆくことと相成りました。2016年の秋から世話になってちょうど2年半。最終出勤は3月20日、残すところはあと3回受付に座り、9回事務所に座るのみです。急に決断したものでどなたさまにも直接の報告をすることがむつかしく、届く人にだけでもとひっそり筆をとっている次第です。

とはいえご存知のようにわたしは「ほんとうのこと」がとても苦手なのだし、さまざまな信義やかかわりなども含めると、多くを書き起こすことはできない、ましてやこの期に及んでうそをつくことももちろん憚られる。業界における一般的な「退職のお知らせ」みたいな大仰なことをする立場にもなし、要するにこの記事はほとんどじぶん用の覚書なのですが、まずもって円満退社であることと、客として足を運ぶ機会は今までより増えるであろうことを書いておきます。

次に乗る船を決めました。行き先についてはとやかく聞いたりしないでください、いやな顔をしてやる。いっそ寿退社なら言いふらしもするのですがそんな華々しいものでもないのでね。

/---以上---/

都内の狭小ライブハウスというのは、ふしぎな現象だなとずっと思っている。ほとんどジャンルすらなくただただおおきな「音楽」というイデアに照らされてほんとうにそれだけを共通項に、何千というにんげんが、曲が、信条も思想も損得も違えたままに、交差することができる。できないこともある。個々として個々を愛したり許せなかったりしながら、夥しいあらゆる感情がそこには堆積してきて、これからもしていく。毎日床を掃いてモップをかけてもその、美しかったり醜かったりする堆積をすこしも損なうことはできない。それをとてもふしぎなことだと思う。

「いま、ここ」において「存在が現象している」ことを考えるとき、わたしはいつも、音楽のことを思う。とある小説の一節を思い出す。

「人間とちがって、音楽は確かだ。つねにそこにあるんだからね。鍵盤に触れるだけでいい。いつでも現れる。望む者の元に、ただちに。」

わたしは表現者ではないから、ステージの上で何が起こっているのか、この一節に想像を委ねる。確かだった毎晩のステージと、これからもつねにそこにあり、ただちに現れつづけるステージのこと。

またどこかの地下で、偶然に会いましょう。

田中類

本を借りるのが苦手です。本を買います。