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「だって誰も大丈夫なんかじゃなかった。」

「居場所」について、というよりも「わたしの思う居場所のこと」「居場所についてわたしの思うこと」について、友人や同僚まで巻き込んで考え事をしてすごすこのところに、唐突に形而上満月がのぼって、モーンガータが浮き上がった。

MÅNGATA[名/Sweden]
 水面にうつった 道のように見える月明かり

月光を反射する道。道とは、外延すれば「線」だ。わたしにとってモーンガータは道であり境界線でもある。みづから「マージナル」ということばを好むのとどちらが先だったかはもう忘れてしまった。

なにもかもが嫌になって終電で千葉の海辺へ駆け込んだ夜が何度かあった。それは3年前から2年前の悪癖。セルフリファレンスの独り言を漏らしながら、波打ち際を延々とあるく。波打ち際、砂浜と海の境目、あるいはその両方、もしくは、いずれでもない。そういう領域を無自覚にそのとき道と定めて、延々と、延々と、歩いた。波に足をすくわれ砂に足をとられながら、ずっと。
ほんとうにずっとだったらよかったけれど、人の手の入った海岸線にはコンクリートで打たれた終わりがあった。だから、振り返って、来た道をまた延々とはじめようとした。
真正面に満月がのぼっていた。
これはいま参照している記憶なので、実際は満月なんて都合のよいものではなかったかもしれない。その確率の方が高そうだ。けれどもまあすくなくとも、「月が照っている」と形容するに値する輝度が中空にあった。そして、振り返りみた砂浜の濡れた波打ち際だけが、そのひかりを反射して、まるっきりひかる道をなしていた。

ここを歩けばいいんだ、と思った。

砂浜と海の境目、あるいはその両方。もしくはいずれでもない。そういう領域を、月に向かって、歩けばいいのだ、と思った。

道であり、境界線であり、マージナルであるところの、モーンガータ。わたしはあの晩から、モーンガータの住人なのだ。(月には住めないから)


昨晩、唐突にのぼった形而上満月を、肉眼でとらえたものは、以下。

あいだにいくつか、「一方向的な」それらについての違和感を書き起こしてあるけれど。

「居場所」のことをずっと考えていたのに、どうしても「場づくり」へは親和性を見出せなかった。それを今まではみづからの怠惰ゆえだと思っていたり、みづからの当事者性に拠るものだと思っていたりした。そうではなかった。わたしは、「大丈夫じゃない人間どうし」しか知らない。「誰も大丈夫じゃないところ」のことしか夢想できない。

居場所を提供する・供給する側:「大丈夫な側」と、それを消費・需要する側:「大丈夫じゃない側」という二項のことを思い、その断絶を思って、もどかしがっていた。そうではなかった。そこにあるのは水平方向の距離ではなくて垂直方向の距離であり、そこを流通するなんらかのエネルギーは、重力に従って上流から下流へごく一方向的に流れるものなのだ。滝のように。それは物理的に、逆流しえない。

わたしは滝壺のはずれのはずれの、ぬるく停滞したよどみのことを居場所と呼んでいたのだ。

位置エネルギーなんか一縷とまとわないような。波をうけて揺れることはあれど、波そのものを構成することはできないような。よどみ。誰も大丈夫じゃない。誰も滝でも波でもない。その、圧倒的な、「生存と尊厳の脅かされなさ」、なまぬるさの、安心のことを。

大丈夫ではない、と気づく。すこしの余裕があればあたりを見渡し、なければ目についたストローへすがりつく。それで、あたりの誰もかも・ストローも、大丈夫ではなかったら?

大丈夫ではなさを、大丈夫ではなさとしたまま(でも)、しのぐ暮らし方があるはずなのだ。よどみに身を浸して、流れを他人事に眺め、外皮をととのえる、そういう暮らし方が。

わたしはそれを偶然にも積み重ねてきたはずなのだ。

かつてもいまも、大丈夫だったり大丈夫でなかったりのモーンガータを幻と歩くわたしだからこそ、そのしずくを、抽出して抽象することができる。

きっと誰も大丈夫じゃなかったから、よどんでいられた。

本を借りるのが苦手です。本を買います。