駒とめて袖うちはらふかげもなし佐野のわたりの雪の夕暮

サントリー美術館の「歌枕」展に行った。
「歌枕」とは、ある特定の土地が和歌を通じて抽象され、記号化されるプロセスを繰り返し経ることで、いつしか人々の脳内で特定の土地と抽象的な記号群が一意に紐づけられるようになった状態を示す言葉である。
最もわかりやすい例はおそらく龍田であって、人は紅葉、川、衣などの一般的な単語の羅列(これは本来日本の無数の土地に当てはまりうる概念)から一意に龍田川を連想する。この連想を助けるのは在原業平「ちはやぶる...」に代表される龍田川に関して書かれた一群の和歌たちである。

そこで表題の和歌である。「佐野」と「雪」の対応付けに大いに貢献したこの歌は「正治初度百首」にて藤原定家が読んだもので、「万葉集」の長忌寸意吉麻呂の歌、「苦しくも降り来る雨か三輪が崎狭野のわたりに家もあらなくに」の本歌取りとなっている。
現代語に訳すと「馬を止め、袖を払って雪を落とせるような物陰もない。佐野のわたりで日が暮れている。」と言ったところだろうか。徹底的に主観と動きを排除し、冷たく寂しい一面の雪景色を絵画のように切り取った美しい歌である。

ところで、この歌、「駒とめて袖うちはらへばかげもなし佐野のわたりの雪の夕暮」としてみるとまた味わいが変わると思うのだが、いかがだろうか?定家の歌が全体を通して主観と動きを排除しているのに対し、この歌は前半の主観・動きと後半の客観・静けさでメリハリをつけている。

現代語訳は「馬を止め、袖の雪を払うとあたりに何も動くものがないことに気づいた。ああ、佐野のわたりで日が暮れている」とでもしてみようか。
この情景に至るまでは、馬は軽快に歩みを進め、順調な、幾分陽気な旅路だったのだろう。袖に積もった雪が気になるので、何の気なしに馬を止め、(袖を「うち」払うという言葉から連想される通りの)大きなモーションで、たとえば目の高さまで袖を上げ、振り下ろす。この動作により一旦視界が遮られた後、改めて視界が開けたところで眼中に寒々しい雪景色が飛び込むのだ。旅人の孤独は一層強調されるだろう。

このように、和歌はたった2文字変わるだけで全体のイメージががらりと変わるから不思議である。
「ころもほしたる」を「ころもほすてふ」に変えることで古歌を不朽の名作に変貌させた天才歌人に張り合うつもりはもちろんないことを断っておく。猛暑が続くこの頃、気分だけでも涼しくなればと思っての素人の言葉遊びである。

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