習作(2019~2021)

2019年~2021年の間にSNSにアップロードした短歌・自由律・散文詩・随筆風・小説風の習作をまとめた。

短歌

青いのだ/空、森、標識。庭、車。/青しかないのか、五月というのは

陽のあたる 部屋はしづかに君のほか 思い出したる ことなどもなく

春風の かくもしづかに 凪ぐ昼よ いとどな吹きそ 酔いもぞ覚める

自由律

花ざかりの木々の向こうにまた木々がある

春のしののめに鎚音は遠く

花の季節だ雲が飛ぶ


散文詩

日がな一にち/陽光を浴びながら/地球とともに/しずかに/呼吸をしている/木のような、石のような/そういうひとになる

目を閉じて太陽を見ている

外は晴れている/わたしはバスに乗つている/時間がゆつくりと 膨らんで/世界は永遠を 疑つている

青い空・青い空・風鈴・青い空・太陽・入道雲・夕立・青い空・青い空・青い空・夕立

秋の花よ/お前が俯いて咲くのは/いや、よそう 今日はよく晴れて 春のようだね

乙女椿の廻転に
天はかたぶき地はうねる

金木犀の若葉が陽光を受け/てらてらと色めいていたのよ

青い夕暮れ 水底のような町を 路線バスが泳いでいる

薔薇も木槿も紫陽花も/この長雨に曝されて/すっかり色が抜け落ちて/よもやと思うて側溝を/チラリと覗いてみたところ/花や緑や青空や/商店街の看板が/そっくりそのまま溶け出した/極彩色の粘液が/とろりとろりとゆるやかに/だけれど一途に南方へ/流れてゆくのが見えました

この雨が生臭いのには理由がある
この雨が生臭いのは、夏の死体が溶けているのだ
遠い炎天の日々の 豊満な夏の実体はいま、終ぞ息絶え、灰色の饐えた液体となってこの街に降り注いでいるのだ
あの軒下の猫を見てごらん
この匂いにあてられて すっかり伸びてしまっている

子どものような 夢を見て
お前はまだ  眠っているのだろう

お前は冷たい雨を避けるためにそこにいたのだね/雨が止んだら 出ていくのだね

わたしは街頭に立って空の景色の移り変わるのをじっと見ていた
わたしの時計が一時間やそこらを数えるあいだ、空の上では確かに 二万四千年が経過していた

あるじをなくした犬小屋が
寂として陽のなかにある

清冽な月光は万象を明らめ
青年は時を得て魔人と成りぬ

顔を真っ赤にして/僕を叱っておくれよ

リンドウが 咲いていた
心臓が ドキンと鳴った

幸福な少女が夢を見ている
わたしは黙ってその側に居る

春の嵐が過ぎ去って/午後の町に陽が差しはじめた/空は青、木々は緑、家々は白/町の全体が原色を発している

人間の体をした鹿が二匹、幸福そうに抱擁している

白けて細い杉の木が/ゆっくりと風にかしいでいた

バスケットボールで遊ぶ父娘がいた/サックスを練習する中年の男がいた/スケートボードに乗る少年たちがいた/メダカがいた/猫が三匹いた/竹の子が伸びていた

随筆風

雲は低くて空は青い。いい天気だ。外では子供が遊んでいる。バスにはだれも乗っていない。マンションのあちこちで布団を干している。全てが永遠のように間延びしている。

金木犀という花は、近くに寄ってにおってみても何やらぼやけてわからない。ところがひとたび風が吹けば、すぐにその中に溶け出して、あたり一面に比類なき芳香を充満させる。これは丁度、鈍色の銅が水に溶けて、たちまち青い鮮やかな錯体を形成するのに似ている。どちらも溶解の作用である。

黒黒とした暗幕の夜空に無機質な月が浮かんでいる。この街が不自然に明るいのは、月のスポットライトに投射される、一つの巨大な舞台装置だからではないかしら。なるほど、確かにあたりを歩く人々は、台本にそって手足を動かし、決められた科白を読み上げているような、人工的な調和を感じさせる。

隣家の椿がガバリと揺れて、萎れた花びら、葉、萼などがザアザア地に落つ。姿は見えぬが、猫の仕業らしい。

晩秋の長閑な午後、ランドセルの子供らが家路につく。全ては認識の問題なのだ。

信濃の深幽な杉林に別荘があり、夏が来ると親族で連れ立って避暑に向かったものですが、それも引き払うこととなり、大層後ろ髪を引かれる思いをしながら、家具や調理器などそれぞれの家で引き取りました。あの我が家の大きな戸棚もその一つで、扉を開けるといまだに、信濃の杉林の匂いが立つのです。

夜の商店街を自転車で走っていると、家々の二階の窓から窓へ、月が移動しながら追いかけてくるのです。

東の空に幾望の月が出ている。なにかが完成される直前の、あまりにも望まれた形で実現される幸福。原理上、決して瑕疵のつくことのない、完全な/空想の宝石。

東京から遠く離れた町に来るたびに、そのそれぞれで、若者たちが、都心に住む若者たちと全く同密度の生活を行なっている様子を目の当たりし、自分の認識する「生活」の重心が大きく揺らぐような、そんな感覚に襲われる。彼らのデート・スポットは唯一の高層建築である観光物産館で、お洒落に興味のありそうな女子高生は全員ボアジャケットを着ている。多雪地帯ゆえ、学生服にはブーツを合わせるらしい。小さなこの町にピタリと嵌まり込んだ彼らの暮らしぶりは、実に心地よく、好ましい。

断腸の春色東京に在り。空はこんなに晴れている、実に悲しい水曜日ですね。

七、八種類の躑躅が満開していて、水路には水が流れている。

五年ほど前に庭に植えた枇杷が、ついに私の背丈を超えた。日当たりが悪いので、はじめの数年は育ちが悪く、病人のようにひょろひょろと頼りなかったが、家々の間に陽だまりができている地点まで伸びて以降は、葉の数も増え、見違えるように元気になった。

教養学部時代はよく構内の建物の屋上によじ登り、ひとり昼ごはんを食べていた。全然金がなくて、家で握ったおにぎりや、数枚の食パンを持ってきて食べていた。ペットボトルに水道水を貯めて飲んでいた。とにかく巨大な憎しみがあり、巨大な憎しみの沼の中で、黙々と自己の哲学を押し固めていた。

今年になってはじめて、食卓にトウモロコシが並んだ。来る夏の太陽を思わせる、気持ちの良い黄色である。

おもはゆいというのは美しいことばだね。面映い、まばゆい光に目を細めるときのような、少しも後ろめたい感じのしない照れくささ、今日はこのことばを使うのがぴったりな昔話をしていて、お酒も少し飲んでいたからか、「あれはおもはゆかったねえ」なんて言って、たいそう気分が良かった。

午前中に始めた浴槽の掃除は正午を過ぎてようやく一段落ついた。青い空と塩素の香りは私が生涯経験した全ての夏の記憶と強く結びついている。

児童館の外壁に沿って桑がたわわに実をつけていて、横を通るたび、日ごとに色を増している。

実家の犬の非常に頭が悪いのが嫌で、死んだ時も本当になんとも思わなかったのだが、死後一年経った今になって夢に何度も出てくるようになった。しかも、犬は夢の中では努めて利口に振る舞おうとしている。俺を噛むのを我慢している。今更夢に見る俺、今更利口に振る舞う犬、どちらも不器用な男である。

暑いには暑いが、それでも夏の盛りの頃よりはいくぶんましであったし、何より既に日が傾き始めていた。幾日か前から蝉の声も聞えなくなった。林道は寂としていた。玲瓏な甲虫が眼前を飛び去っていくのが見えた。

少しずつ、遠い昔のことなどが 私の裡に思い出されて来た。平日の午後二時には、すべての音が消えること。実家の裏山で、蛇の神様に遭ったこと。運命の人からは、甘い匂いがして来ること。

「ゆうちゃん」というのがいた。少し裏の方に「たくみくん」というのもいた。「まほちゃん」もいた。ひどく平凡な子供たちだった。私は、私の近くで暮らすものは、もっと特別であるべきだと思っていた。私は彼らのことが嫌いだった。気がつくと、みんな居なくなっていた。もうとんと昔の話である。

若い、とは、早い、ということだろう。何かが良くなるのが、何かが悪くなるのも全く同様に、とても早いということだろう。あるいは、若い、とは、水、ということだろう。

坂になった路面に西日が当たっていた。風にそよいだ竹が乾いた音を立て、空にはごく薄く、うろこ雲が出ていた。秋の夕暮れは額縁入りのジグソーパズルのような、退屈にも思えるほどの完成度で私の前に静止していた。

本日はお日柄もよく、大気も澄み渡り、遠く蓬莱の山まで見渡せるような心地。上機嫌で辺りを散策していると、人間の精神の最も強固な拠り所たる自然が、溌剌とした躍動感でもって、わたしの目の前にせり出してくる。自然と、わたしと、頭のすぐ上の宇宙とが、ぴったりと密着しているのがわかる。

春光をやおらに押し返す馬酔木は鈴なりに咲いて重たげである。

薄雲が、これはおそらく空一面を覆っているのだが、さやかな月光に照らされた、満月の周囲にだけ掛かっているように見えて、日本の古典的な絵巻のような、大変風雅な感じがする。

飛行する雲の影が道路の上をこちらに向かって滑って来た。それは自動車くらいの速度であった。(雲の影…)わたしはなぜだか変な気がして、足を止めて影の行く先を見送った。影は上野桜木の方へ進んで、すぐに見えなくなってしまった。(雲にも影があるのか…しかし…)わたしはまだ変な気がしていた。


小説風

(小説の一部を引用するような調子で、そのとき浮かんだ心象風景について書いたもの。)

散る桜は、二度とは咲かないのでしょうか?砕ける波は、二度とは寄せないのでしょうか?わたしには、全てが一度きりであるように思えてなりません。

太陽は沈まない、人生は終わらない。彼の日記の最後の行には、几帳面な西谷らしからぬ粗雑な筆跡で、こう記されていました。あの日、マレー沖で初の空戦を終えた私たちは、誰もがその勝利に酔いしれていたのです。西方へ帰投する私たちの眼前には、いつまでも、いつまでも巨大な夕陽が燃えていました。

その時僕はフランスパンを抱えて、長い坂を下りていたんだけど、五月の、冗談みたいに良い天気で、目に映るすべての物に一番良い角度で陽が当たっていて、これから全部うまくいくんだって、本気でそう思ったんだ。

日が翳ってきた頃に、一寸脇道の、遊歩道のようなところに入り、木木の蕭蕭たるざわめきなどに耳を傾けていましたところ、右の手の上に、豆粒大の黒い甲虫が飛来してきまして、その甲虫というのが、鞘翅の上にびっしりとビロウド様の美しい毛を揃えて、たいそう典雅な感じがするのでございます。

大気に飽和した夏は急坂を駆け上がる少年の痩せ顎に結晶し、不釣り合いなほど大粒の汗となって今まさに滴り落ちようとしていた。

寒い夜だった。長梅雨の到来を予感させる、陰湿な雨が降っていた。
母は燿子を疎み始めている。母にも、伯爵にも、彼女の苦悩は理解され得ないのだろう。
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伯爵は燿子を愛している。では燿子は?燿子はあまりにも子供であった。
燿子の心身を病ましむる強毒が、燿子をあらゆる経験から遠ざけていた。そしてそれは、外気に触れるやいなや、無害な、何か芳香性の物質にでも変化するらしい。
燿子は足が冷えるのを感じた。泣きたいような気持ちがした。
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(あの真赤な薔薇のつぼみの中には、きっと幾百の油虫が蠢いているのだわ。)
燿子は昼間、伯爵の屋敷に呼ばれたことを思い起こしていた。伯爵自慢のイングリッシュ・ガーデンの中央には、一輪の薔薇が大きなつぼみを付けていたが、鈍色の空の下で、薔薇は不自然に赤いのだった。
庭園は、薔薇の香りで満ちていた。

『女性は皆それぞれに特別な匂いがします。初めて嗅ぐとき、それは花です。でも、何度か逢ううち、悪臭に変っていくのです。僕はついに耐えられなくなってしまう。』 木崎がどうしてこのような話をしたのか、私にはわからなかった。

一面の星空は昼間の海を思わせた。マロロは、この村では、新月の夜は家族が悪魔に連れ去られぬよう、夜明けまで宴会をするのだと言った。さすがに騒ぎ疲れたわたしは、今、裏手の広場で一人手記を書いている。密林に静寂がしみ渡ってゆく。どうやら悪魔は、部外者のことは連れ去ってくれないらしい。

鈍重な空の下に聳えるこの屋敷には、どこか見覚えがある。裏手にまわると通用門があって、飛び石が奥へとつづいているが、大きな青い紫陽花が視界を遮るので、ごめんください、と言って、ハテ、自分が女の声をしていることに初めて気がつく。薄い玻璃の碗を鳴らしたような、清浄で高く響く声色である。

佐伯くんは、星のようなお人やね。ピカピカ光って綺麗やけれど、なんだか寂しくて、近くで見ると怖いんよ。

桜は散るために咲くのではないよ。

聖子は時間丁度に来て、聡の居るのに気づくと、歯を見せて笑った。幸せの絶頂の裡に立って、来し方や行く末のことを思うと、聡はなんだか泣きたいような気持ちになった。人はどうして死んでしまうのだろう、とも思った。去年の秋の日に、縁側で午睡をしていた妹が、突然泣き出したことが思い出された。

昨夜、にわかに、猛然と雨が降りました。森がゴオゴオ鳴って、雨も、これまでの長雨とは明らかに違いました。
「破水により夏が不完全なまま生まれ出でようとしている。」
朝が来て、新品の絵具を絞り出したような夏が在りました。それは羽化したての昆虫のように濡れて、柔らかいのでした。

眼下に縁日の提灯が揺れ、時折涼しげな風が吹いた。空はよく晴れていたが、大きな月の周りには薄雲が延びていた。二人は手すりに寄り掛かり、長い間動かずにいた。言葉はあまりに不誠実であったし、行動はどうも直截的すぎた。沈黙が作る真空に、互いの心が流れ込むのをひたすらに待つほかなかった。

無窮の周期運動にあって富貴康寧の極致たる存在の恒星と、数秒先の確実な死へ向けて急進する流星とが、全く同じように光るはずはないだろう。流星は、最期の瞬間に身を投じる者は、灼然たる光芒を放たなければならぬ。ある夜、康祐はまんじりともせず夜空を眺め続けた。一晩で十と三つの流星があった。

美里さんは、悪人です。僕が美里さんの前に座って、あなたの目や、声や、指の動きに心を揺さぶられて、こんなに苦しくて、泣きそうな気もちになっている時に、美里さんは、それを知った上で、全然平気な風に、今朝見た猫の話だとか、天気の話だとかを、楽しそうにしています。美里さんは、ずるいです。

小春日和だね。まこと、小春日和だね。寺社は白く粉のふいた軒を日に干して、運送屋のトラックが細道をゆっくりと走行する、この空、不思議と太陽はどこにも見えない、かわりに柿の木には幾百の果実が満ちて、あ、蝶!きみは何処へもゆかないのだね。きみはここがどこだか知っているのだね。

夜の帳の下で沈黙したあの重苦しい木々の葉が、昼間は赤や黄に美しく輝いているのだと俺が言っても、お前はそれを信じないのだろうね。

ゆくりなく冬が来て、紙粘土のような重たい雲が街を覆った。雨が降れば寒く、風が吹けばまた寒かった。地下鉄の乗客たちは、みな不機嫌そうにむっつりと黙っている。奈子さんも、この乗客たちと同じ仏頂面で、冬の過ぎるのを待っているのだろうか?この妄想は修造を実に愉快にさせた。

便所の黄色い電灯に照らされた鏡の中に、松木は真実の自分を見た。この間の抜けた、正気の男は、本気で運命を捻じ曲げるつもりでいるらしいが…。ところで、正気のままで何かを成した人間が、過去に一人でも居たかしら?松木は目の覚める思いがした。汽車は静かに夜の森に呑み込まれて行った。

霧深い寺院の裏山には巨大な人型の牛がおり、夜な夜なブォオと鳴くのであった。

(それでも美しくなければいけないのですか) 凛子はほとんど泣きそうな調子で言った。修二はじっと、首を傾げるようにしてその悲痛な訴えを聞いていた。初春の夜の嵐が彼女のか細い声を一層聞き取りづらくさせるのだった。(俺は鬼なのだろう さもなくば狂人なのだろう) 雨は強くなる一方であった。

土曜日の日暮れ前、晩春の空は厚く灰白色である。まだ、辛うじて雨は降らないが、車内は湿気てどうにも息苦しい。土だらけのエナメル鞄を足下に置き、三人席の端にその大きな体を縮こめて座る行貞は、午前の練習中に紀文から投げかけられた言葉の意味をぼんやりと考えていた。「行ちゃんは怖いんと違う?」

美里さん、今、いやですねえ、って言いましたね。雨、いやですねえ、って。でも、貴方のいやは全然いやな感じがしない。この間の喫茶店で、僕の食器が汚れていた時も、貴方、いやねえ、って言ったけど、やっぱり全然いやな感じがしないんだ。貴方は、全部、そういうものだと思っている。そういうところが、あなたは素敵だ。

マフラーだ。絹地の、できれば新らしいのが良いが、箪笥の奥にある安い化繊のでも構わない。とにかく、今は想像できんことだが、冬が来て、寒い寒い冬が来て、その一等寒い朝の時間に、まっ白い息を吐きながら、おまえがおまえの家の玄関口でそのマフラーを巻いた時、全ては完成するのだ。

日暮れ前、東の空に巨大な入道雲が湧き立った。ギリシア彫刻の如く重厚な質感を持っていながら、ひとたび目を離せば全く形を変えてしまう。入道雲の中では永遠と瞬間とが奇妙に同居している。私はあれにどうにも心を惹かれ、入道雲を見ながら死にたいような気さえするのだ。

千恵ちゃんが、「やさしい甘さやね」、と言ったのの、この、やさしい、というのが、じつに千恵ちゃんらしい、このお上品な家にふさわしい感じがして、僕はよりいっそう縮こまってしまって、手が震えて、粉砂糖をたくさんこぼした。千恵ちゃんのオカンがオホホ、と笑うので、僕は耳まで赤くなった。

私は筋金入りの大悪党だ、と思った。涙が出そうになったが、それも汚れた涙のように感じられ、唇を強く噛んで教室の壁を睨みつけていた。気づけば夕闇が静かに忍び込んであたりに満ちている。(帰らなくっちゃ。)呆れた。私はいつも私のことだけを考えている。

友達の中には古臭くて嫌い、と言う子も多いけど、私はこのセーラー服が好きだ。中でも、夏のベランダに干してあるセーラー服が一番好きだ。いつからか、「清涼飲料水」という文字を見るとベランダではためくセーラー服を思い出すようになった。

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