肉体の悪魔
自分についての秘密を告白することが、誰かと親密な関係を結ぶのに役立つ時がある。
秘密を告白されたことで、相手はあなたに特別な連帯を感じるようになるだろう。あるいは、一つの告白がより多くの謎を呼び、相手はあなたをもっと知りたいと思うようになるかもしれない。
だが、秘密は容易に偽ることができる。そして、あなたが持つ秘密がいったいいくつあるのかを、他人が知るすべはない。
つまり、告白される秘密などほとんど嘘と不可分であって、人間関係に色を添えるイミテーションに過ぎない。
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肉体だけが、人間の持つたった一つのほんとうの秘密であるとわたしは思う。
人間は肉体を偽れない。肉体はいつもあなた自身であって、肉体の裏に別のあなたを隠すことは決してできない。
それゆえに、肉体をさらすことはどんな言葉よりも正確に真実を伝え、肉体を隠すことはどんな言葉よりも強い拒絶を突きつける。
西洋絵画の裸婦、とりわけ神話の女神たちは、鑑賞者にこともなげに自らの肉体をさらけ出す。しかし、そこにあるのは娼婦の無抵抗や情婦の煽情ではない。裸婦はただ、その肉体を通じて彼女たちの真実を伝えているのだ。そして彼女たちは、見も知らぬ無数の未来の鑑賞者たちが、そこで彼女の真実を目撃することを「許して」くれている。
ここに、わたしは裸婦画の美を再発見する。我々がそのモチーフに反して裸婦画に不思議な安心を覚えるのは、自分が「許された」と感じるからではないのか。さらけ出された肉体という真実は、我々がその場にいるという事実を、さらには我々の存在それ自体を、どんな言葉よりも強力に「許して」くれるのだ。
我々は皆許されたいのだろう。男であれば尚更そうだろう。なぜなら男は戦士なのだから。
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現代の、特に若い男女の関係において、肉体は第一に「あまりにも直接的な意味」を持つ。愛における最初の試練は、この「あまりにも直接的な意味」を越え、いかにして肉体本来の意味、「人間の持つたった一つのほんとうの秘密」にたどり着くかという部分にある。
恥じらう乙女が閨中で戯れに己の肉体を隠すとき、そこに拒絶の意思はない。彼女にとってそれは、「あまりにも直接的な意味」に対する「お決まりの作法」に過ぎない。
だが、どうか乙女よ、その時が来たら愛する人にあなたの秘密をそっと打ち明けてやってほしい。愛する人があなたを知ることを許してやってほしい。
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近頃、太陽の下にさらけ出されたあなたの肉体の夢を見る。
きっと、わたしの肉体に棲む悪魔が、これからもこの夢を見せ続けるのだろう。
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