書くことを決めること

 試験勉強をしなければならない時に限って、
掃除をしたくなる現象には名前があるそうだ。
何というかは忘れた。

 公演も終わり、まったり時間を過ごしていたのだが、そろそろそれも問屋が許さず(?)労働が始まったり、次回公演の稽古が始まったり。

 そうは言うものの、そもそもマルチタスクが得意では無く、せねばならぬことは山ほどあれでこなせないという事態が起こる。ただ、その場合大抵は貧乏性のせいであれもこれもやろうと詰め込み過ぎなことも多い。いくつか出来れば御の字で、それを認めることが出来たらこなせる数も増えていた、となるのだ。

 シナリオの勉強をする前、物語を書く行為に対して思っていたことは追い出しダレのように、
粘土のように継ぎ足し継ぎ足しで造詣するといったイメージだ。ネタは多い方が良い、アイデアはたくさん欲しい。その方が書ける気がするからだ。

 しかし、勉強が進むにつれ学んだのは、
書くとは、「書かないことを決める」作業を繰り返すということだ。書かないことを決めると、書きたいことのアウトラインがくっきりする。
 丸太を掘って削って、彫刻を作るようなものなのだ。

 それがわかってから、書けるようになった。
と、言うほど書くことは容易く無く。ちゃんとnoteを書くことに集中する為に、ググるとかは無しにしよう!と、冒頭の現象について調べるのを辞めたけど、おいおいそれは単なる執筆前段階のリサーチ怠慢の言い訳やぞとお尻を叩きつつ、
今日もデバイスに向かうことだけは頑張っただけのことだ。

なんにも偉くないぞ。

創作の製作過程を覗きみて、楽しんでいただけたら。