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生活が、好き。

フォロワーさんが最近、
「私は生活が好きなので」と呟いていて
あぁ、と膝を打ったのがここ数日のハイライト。

忙しい最中、やっとこさスーパーに行けたのが嬉しかったらしい。

『生活』というやつは、まぁ厄介である。
生きてく上で切っても切れないてのがそもそも
面倒くさい。

離れたい時やって、あるねん。

要らない時は保管しといて、
必要な時だけ取り出して使えるみたいな
もんだといいのに⏏︎

『生活』を整えないと、というか、整えると色々うまくいきます〜、回り出します〜とか言われても、その整えるのが大変なんだって。

これまた別のフォロワーさんが、
「『生活』をちゃんとしてたら『仕事』する時間無くなる」と呟いてて、わかり過ぎて爆笑した。

本当に、家事は労働に匹敵すると思う。

よく専業主婦は年収〇〇円に相当する〜等の
議論が白熱するのを見るし、男がやれ〜女がやれ〜合戦で炎上するし、まあわからんでもないけどそういうことが言いたいんじゃない。

なぜ日常には『生活』があるのだろう。
生きるを活かすか……生きる活動?
死にそうな時にも『生活」って付きまとってくるように思うのだけれど…。
そんな時は構えなくなると言うよなぁ。

これだけ煩わしいはずなのに、忙しくて
『生活』が出来ない日々が続くと無性に
『生活』のあれこれにまつわるものが気になり始める。『生活』の本とか見ちゃう。

でもそこにはすごーく綺麗で、
すごーくお洒落で、とても今の自分には
出来なさそうな『生活』が並べられ目に飛び込んで来る。出来ないよーって凹む。

そんな時、飛び込んで来たのが
「生活が好き」というフレーズだったのだ。

あー。私、生活好きなんだー。

好きだから気になっちゃうし、
見て見ないフリ出来ないし、
やるまでやりたくないけどやり始めたら
止まらないし、出来たら嬉しいし。

好きに気付けてなかったのかもしれない。
暮らしの手帖とかさ、栗原はるみさんの本とか
読んで凹まなくていいのだよね。

だってああいうのにまず大事なのは
「生活を愛おしむ」ことなんですもの。
そう暮らせば、自ずと自分の『生活』は
出来上がってくるのですもの。

好きってそんなに嫌いになれないんだなー。

SNS中毒で困惑していたのだが、
自分だけでは見つからない考えに触れられるから
やめられないのだなあ。

だけど『生活』もちゃんとして暮らしたいから、

今から私は明日の食事用に、肉じゃがを作ります。

創作の製作過程を覗きみて、楽しんでいただけたら。