シン・ウルトラマンを観た
ウルトラマンという作品を僕はあんまり知らないんですけど、人気出てるしシンゴジ面白かったし、まぁそういうミーハーな気持ちで観てきました。
ウルトラマン、まったく知らないってわけでもない。
子どもの頃にネクサスだったかコスモスだったか観てた気がする。あと怪獣集めて戦わせるポケモンみたいなやつ、映像もゲームも遊んだ。
しかし、「ウルトラマンと言えばこれがテーマだ」と言えるわけはなく、シン・ウルトラマンの何が既存の作品と異なっているか、あるいは継承しているかを論じることはまったくできない。
なんでまぁ、単純に庵野監督がどういう作品を作ったのかを純粋に楽しんできた。
これがまたね〜、外さないですね庵野監督。
バッチリ面白かった。
笑えるとこで笑えたし、泣けるとこで泣けたし、興奮させるとこで興奮させられた。ちゃんとそういう意図を伝えられるってのは、庵野監督の地力だなぁと思った。
序盤の禍威獣ラッシュはシンゴジみを感じた。淡々と事態が進み、現状がどうなっているか説明する感じが。ただシンゴジと大きく違うのは、何度も巨大不明生物の脅威を乗り越えてる点ですね。禍特対もなんだか手慣れた感じ。怪獣を「禍威獣」と読ませるのもハッタリが効いてて好き。
早くも出ましたウルトラマン。視聴する側としては、味方だとよく知っているが、作中の人物としては謎の巨人と評するしかないだろう。しかも人類が苦労して倒した禍威獣を一撃で倒してしまう。敵か味方か、その真相も次の禍威獣との戦いで明らかになる。そしてその正体についても。
ウルトラマンの正体は、正直後半まで作中で明らかにされることはないと思っていた。まぁただの固定観念なのだが、視聴者の我々だけが正体を知っており、誰にも言えない苦悩を共有できる、というのがこういう作品の常だと思っていたけれど、本作では割とあっさりバレてしまう。そしてその暴露を軸に話は展開される。
禍威獣の巨大バトルが続く思ったら、今度は外星人による巧みな侵略が日本を襲う。この緩急の付け方は、視聴者を飽きさせない工夫だと思った。劇場を出る際に、観客の一人が「特撮を観る才能がさぁ」みたいなことを言っていたが、実際ずっと巨大バトルが続くのは僕にとっても退屈であり、こればっかりは感性の問題、いわば「特撮を見る才能」なのだと思う。
メフィラス星人、こいつ面白い。何もしなくてもこいつが印象的なキャラだという情報は入ってきていたので、存在だけは知っていたが、本当に面白いやつ。
そして恐ろしいやつだった。禍威獣の発生は彼の長期計画の一部でしかなく、地球はひっそりと侵略されていたのだ。同じく人類に交渉する形で侵略に乗り出したザラブ星人より、遥かに緻密で強力な計画を実行しており、メフィラス星人が人間の姿で登場した頃には、彼の侵略計画はほぼ終了していた。
しかし、不思議と彼には恐怖だけでなく親しみを覚えてしまう。常に紳士的で暴力を嫌い、人間の言葉を気に入り、地球を美しい星だと口にする彼は、侵略を受け入れた方が得策では?とすら思える。自分を人類の上位存在にしてほしいという条件も、本当にただ人類を手に入れたいだけであり、虐げたるなどの不都合なことはしないのかもしれない。
メフィラス星人と同じように人間を愛するウルトラマンは、そんな彼を断固拒絶する。愛する存在を自分のものにしたいメフィラスと、愛する存在をただ守りたいウルトラマンの思想は、似ているようで平行線であった。
結局彼らは激突することになるのだが、知略に長ける代わりに非力だと想像していたメフィラス星人は、なんとウルトラマンを圧倒する。ある者の存在にメフィラスが気付かなければ、そのまま勝っていたかもしれない。この辺でウルトラマンが決して神様のように絶対の存在ではないことが仄めかされている。
メフィラス戦のBGMカッコいいよね。ハウスリミックスとかユーロビートって言うのかな。それまでの戦いではウルトラマンっぽい曲のちょっとしたアレンジが続いてたので、大胆な曲が来たな〜と思った。
そして、ゼットン。こいつのことは一応知っていたが、なんだこいつデッケ〜〜〜〜〜〜っ!!!!! デカすぎんだろ……。
しかも強い。最強。てかこいつエヴァンゲリオンの使徒じゃん。BGMもそれっぽい壮大な曲が流れるしさ。1兆℃とかバカみたいな火力、人類とかいう木端に使うの採算取れてなくない?
ゼットンの登場で人類は完璧諦めムード。それでも諦めずウルトラマンは立ち向かうが、まったく歯が立たない。禍特隊に滝という青年がいるのだが、もう無理だ、人類には何もできない、と心が折れてしまう。きっと今までの禍特隊の戦績から、人類としての意地とか自信を築いてきたのだろう。しかし、ウルトラマンしか対処できない敵や外星人の超科学を目にして、人類の限界を悟ってしまう。最大の敵・ゼットン相手に手も足も出ないことは、非常に悔しい事実だったはずだ。
そんな滝くんは、ウルトラマンがゼットンに破れる前に残した、ある科学データと置き手紙を目にする。ウルトラマンは、「自分は神ではなく一つの生命である」、「人間の可能性を信じている」といった内容を手紙に書いていた。そして滝くんは奮起する。この過程がとても心に堪えた。
そしてゼットンを倒すことに成功するのだが、ウルトラマンもまた帰らぬ人となってしまう。ここで、同じ光の星で生まれたゾーフィと短い会話をウルトラマンは交わす。なぜウルトラマンは人の姿を借りることになったのか、その答えは結局、人間を愛したからであった。
死んでもいいという覚悟と、生き延びたいという祈り。相反する二つの感情を孕んだ人間が、ウルトラマンには不思議だったし、そんな人間に興味を持った。そんな人間を心の底から守りたいと思った。
シンゴジの時もそうだったように思うが、根幹のテーマとして「人間讃歌」があるようだ。人間の想像を遥かに超える超存在を登場させつつも、あえてそんな弱い人間にスポットを当てる。なんだか矛盾してるように思えるが、それでボロボロと感動できるのだから、自分ってなんて単純。
ウルトラマン、というか「特撮映画」における大きな魅力、「刺激的で興奮する映像表現」と人類普遍的なテーマである「人間讃歌」。この二つをしっかり描写しつつ、まとめ上げてしまった。シン・ウルトラマンに対する感動を要約するならそんなとこ。
しかしそれだけでなく、ネタ的な方面もバッチリ抑えてくるのだから言うことなし。メフィラス星人の存在はもちろんとして、ヒロインを巨大化させ作中世界のインターネットで拡散させるとことか、急に性癖出してきな〜と思ったし、素人でもウルトラマンシリーズのパロディだろうなと分かるシーンも「フフッ」となった。まったく言及されなかった禍特隊のイメージキャラとか、絶妙にありそうなデザインで個人的にツボ。
ウルトラマン自身に「私は神じゃない」と言わせたのに、わざわざ「シン・ウルトラマン」という題名にしたのには、どういう意図があるのだろうか。「シン・ゴジラ」では明らかにゴジラを神のような存在として据えていた。シン・ウルトラマンでも、ウルトラマンは神のように扱われるが、本人がそれを否定している。「シン」という言葉は、色々な言葉を当てはめられるが、やはりそこは観客に解釈を委ねるということなのだろうか。それなら僕は「真」という字を当てはめたい。本当はウルトラマンも人を愛する一つの生命であるという「真実」を、この作品からは受け取った。
シン・ウルトラマンの感想はこんなとこですかね。
ウルトラマンシリーズを知れば、もっと違う感想が出てくるかもね。
ちなみに、時系列的にはシントラの後に「犬王」を観に行ったんですけど、感想捻出する時間が少なすぎて、途中から犬王のデータが入った状態で感想書いてます。誰だこんなスケジュール組んだバカは。
「コメダ珈琲」、私の好きな言葉です。
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