見出し画像

彼はまなざしの中で生きることを選んだ

夢ノ咲学院は、ひとの個性には比較的寛容だったと思う。それは昔、「五奇人討伐」というものが行われていたころに、傑出した「才能」「個性」が堕落した大衆に標的にされた時代を教訓にして、生徒会が改革に励んだひとつの成果だと思う。(まあそういうふうに大衆を煽動したのも生徒会だったわけですが......)

生徒会の主導した第一回革命については、まじめに考えると記事が3本くらい書けてしまいそうなのでこのへんにしておきたい。なにせ私の最推しは蓮巳敬人さんなのである。そして、先日のテーマスカウトの主役は、彼のかわいい後輩・神崎颯馬くんであり、そんな颯馬くんにバリケードまで建てさせたのが、蓮巳さんが引き継いだ生徒会のつくった「空気」だったのである。

刀は颯馬くんにとって大切なものだ。彼はそれを毎日腰に帯びているし、手入れを欠かさず、それを扱う己の技量まで含めて、常に最高の状態に保っている。刀とは、文字通り颯馬くんの「心」であり「魂」なのである。

ところが、その刀を「怖いから持たないでくれ」と言う一年生が出てきた。というのが今回のお話だった。

画像1

翠くんを始めとする学院の面々は、口を揃えて「何でいまさら」と颯馬をかばう。しかし、当の一年生が言うことももっともだ。普通の高校生は帯刀して学校に来たりしないし、真剣で素振りの稽古なんてしない。学院の外からやってきた、春に入学したばかりの一年生の「刀が怖い」という素朴な感情。これを尊重しようとした生徒会に対し、颯馬はなんと「バリケードを建てて籠城する」という強硬手段に出た。

はたから見ると「こらっ颯馬くん! なんて横暴な」と言いたくなってしまう展開だが、「刀=魂」であることを思い出すと、バリケードを張って籠るとは一種の防衛反応だったのでは......と思えてこないだろうか。自分の魂が奪われる、取り上げられる危機。偏見にさらされて、損なわれそうな心を護る行為。変化する環境の中、とりわけ顕著な「個性」に降り注ぐ、素朴なまなざし。

とはいえ、「刀が怖い」という一年生を誰が責められるだろう。しかも帯刀するのはルックスも口調も武士風という人間である。「侍っぽい人間が刀を持ち歩いてるから斬られそう」とか、なんてテンプレ的な認識なんだと呆れても、それが世間一般の認識なのだ。

そういう世間一般の、大衆の「まなざし」がその人を既定してしまう、という空気は昔からある。60年代に起きたとある連続射殺事件の犯人もまた、そのような「まなざし」に苦しめられた人であった。

(引用元をと思って貼ってみましたが、アフィリエイトブログ感が結構すごいですね。すみません。)

事件の子細は省くが、大切なのは、かつてどれだけ生き方を変えようとも「まなざし」から逃れられずに苦しんだ人々がいたこと、そして現代においても「まなざしを受けられない」つまり「誰も自分を見てくれない」という苦しみを抱える人が大勢いることだと思う。

見られること、見られないこと。どちらの形でも「まなざし」は人を苦しめる。出る杭は打たれるし、一度「こうだ」と認識されたらそう簡単には変えられない。そうして手の届かないところに押し込められてしまった人のもとには、社会や福祉の手も届きづらい。とにかく生きづらい「まなざし」の行き交う世界で、それでもわたしたちは個性を発揮し、ありのまま、自分らしく生きることを求められる。

でもそんな世界の中で、個性を武器に、「ありのままで生きていこう」とする人たちがいる。わたしたちは彼らを知っているはずだ。

アイドル。

アイドルとは、言い換えれば「まなざしの中で生きていくことを選んだ人」ではないだろうか?

画像2

バリケードを解体し(そのきっかけが『お弁当』だったのもなんだか象徴的だ)、颯馬が行ったのは、自身のあり方を示すための単独ライブだった。武器を取って戦うのではなく、壁を作って立て篭るのでもなく、「これが自分の心だ、魂だ」と、生徒の「まなざし」のもとにさらけ出す行為。舞台に立つために、どれほどの勇気が必要だっただろう。

「誰かを傷つけるため帯刀しているわけではない」と颯馬は言う。きっと誰だってそうだろう、誰かを傷つけるために自分の魂はあるわけじゃない。どんな思想も、生まれも、好みも、性自認も、言語も、「あなたを傷つけるためにあるわけではない」。

そして「だからみんな戦え」と言ってしまえるのは、今までそういうまなざしに晒された経験がない人間しかできないことで、それはものすごく残酷なことだと思う。できることがあるとすれば、誰かの魂が傷つけられそうなときに立ち上がることと、自分がそんなまなざしを人に向けないことではないか。まなざしは人から降り注ぐばかりではなく、自分もまたまなざしを注ぐ側だと自覚するとき、あらゆる思想はわたしを傷つけるためにあるわけではないことを思い出したい。

自分のアイデンティティが危機に瀕したら、どうやって戦えばいいか。それを彼は身をもって示してくれたのかもしれない。

少なくとも彼の魂は、この先同じような戦いに赴く人の心を守る矛となり、盾となるだろう。幾多の「まなざし」に打たれて鍛えられ、磨き抜かれた彼の魂は、どんな大勢の「まなざし」をも相手取れる「一騎当千」の刀であるに違いない。そう私は思うのです。


引用&参考ストーリー
・スカウト!一騎当千「つわものどもが夢のさき」第三話、第七話
当ページは、Happy Elements株式会社「あんさんぶるスターズ!!」の画像を利用しております。
該当画像の転載・配布等は禁止しております。
©Happy Elements K.K