3rdプラチナペアの否定と救済

全国立海後編の円盤が発売された。

忘れもしない2月16日、テニミュ3rd全国立海後編大千秋楽。あの衝撃的な卒業式が私に残して行ったものは測り知れないほど大きかった。
思えば関東立海のTake_it_easyからして独特なプラチナペア像を打ち出してきていた3rdシーズンだった。原作ではほとんど拾われなかったプラチナペアが懸けた想いと、失ったもの。そしてテニミュ3rdで追加された立海の卒業式のシーンがそれらをどう回収し終結させたのか。

プラチナペアのことが大好きなので、目一杯の思い入れを込めて書きます。よかったら最後まで読んでください。


3rdプラチナペアの特異性

全立の話をする前に、少し関東立海でのことを振り返りたい。

原作でのプラチナペアは関東大会決勝戦のD2、つまりここまで勝ち上がってきた青学に初めて対峙する立海のプレイヤーとして描かれる。
全国三連覇に向かって負けなし敵なしの圧倒的王者、立海大附属中。
ふたりはその冠にふさわしい実力と余裕を見せつけ、(途中危ない場面はありつつも)結果的には6-1の大差で桃城・海堂ペアを下す。
青学が王者立海の強さを初めて肌で実感する場面だ。

さて、では3rd関東立海でのプラチナペアはどうだったか。
見た人はもう知っていると思う。
陽気だ。
とにかく陽気だった。
個人的にはここまで来たら慢心じゃないかとすら思ったほどだった。

ふたりが先代と一線を画しているのはここだ。

先述の通り、原作のプラチナペアはまず「あの王者立海の実力」を見せつけるための舞台装置的な側面が強い。
それは丸井とジャッカルの性格がなすことでもあるのだが、だからこそ余裕の中にも底知れない実力やクールさまでもが感じられる。
1stと2ndのプラチナペアも大きく見るとこの大枠に則っている。
しかし、3rdのプラチナペアはこの道筋を大きくはみ出し、余裕の範疇を超えて終始ハイテンションに暴れた。それこそ原作との温度差をこちらが感じてしまうほどに。
ではふたりを演じてくれた俳優のお二人が解釈を誤ったのか? 多分これも違うと思う。

リリイベで大薮さんは「Take_it_easyという曲が挑戦だった」と語っている。桃城と海堂を自分のペースで引っかき回し、イライラさせる曲、と。
これをそのまま受け取ると、3rdのプラチナペアが最初ああだったのは俳優ら本人の意思だけで決まったのではなく、スタッフらと3rdのプラチナペア像を共に組み立てていった結果があのふたりだったのではないかと考えることができる。

つまり、3rdシーズンが打ち出したかったプラチナペアの形がああだった、と。これを踏まえて全立D2を見てみようと思う。


3rdプラチナペアの否定

全国立海編で、3rdプラチナペアは纏う雰囲気をガラリと変えた。
余裕綽々とした印象はそのままに、だが以前のようにただ明るく楽しそうにテニスをするだけのふたりではない、地に足の付いた冷静さを兼ね備えたダブルスペアへと変わった。

予想される要因として「関東大会での立海の敗北」が考えられる。
立海テニス部は、個人の気持ちや損害よりも、チームとしての勝利を重んじる全体主義な校風を持つ団体だ。加えて幸村が復帰したことで、一層練習の苛烈さが増したことは想像に難くない。

そんな立海の中でも、特にプラチナペアは関東大会でも白星を上げ、他の試合でも「全国最強ダブルス」の地位が揺らぐような敗北は経験したことのないプレイヤーだった。
彼らにも当然その自負はあっただろう。その分プレッシャーも重く感じていたはずだ。
自分たちならやれる。否、やらねばならない。
「俺らで優勝決めっぞ」「当然だろい」彼らの自信と使命感が試合前のやり取りに表れている。

しかしそんなふたりを打ち砕いたのが青学のゴールデンペアだ。
試合は前半こそプラチナペアの優位で進むものの、後半シンクロを発動したゴールデンペアになんと5ゲーム差をひっくり返されて敗北する。

テニミュで描かれるシンクロの特徴として、「相手のどちらが打ってくるか予想ができない」というのがある。
これはつまり「前衛と後衛がランダムに入れ替わる」とか、「そもそも前衛・後衛という区分が消失する」ということなのだが、まずこれがプラチナペアにとって致命的に相性が悪い。

プラチナペアは、ジャッカルが後衛で守備を、丸井が前衛で攻撃を、という明確な役割分担により真価を発揮するダブルスだ。
お互いにそれを承知してやっているし、彼らもこのプレースタイルだったからこそ全国最強と呼ばれるまでに到達することができたといえる。

しかしシンクロが相手だと、大石と菊丸ふたり分の攻撃をジャッカルが一手に引き受けなくてはならない。
それ自体は今までと変わらないことのように思えるが、「どちらが打ってくるか予想ができない」という状況がジャッカルの負担を倍加させてしまった。関東決勝D2でさえ、彼が担当したのはほぼ「海堂との真っ向勝負」だったというのに。

これにより、ゴールデンペアはまず「3rdプラチナペアのプレースタイル」を否定した。

テニミュでは、シンクロを相手にしたジャッカルが次々と左右を抜かれポイントを取られる。丸井はそんなジャッカルを気にしながらもしばらくはネット際で静かに待っているが、あるタイミングからジャッカルの取りこぼしたボールを拾おうと走るようになる。両者の役割分担が崩れたこの瞬間から、プラチナペアは目も当てられないほど崩壊していく。

ダブルスの奇蹟などと生ぬるいものではない。
その奇蹟を自在に起こせるようになっていた時点で、ゴールデンペアは正真正銘、実力でプラチナペアに勝っていたのだ。

また、この敗戦の後、幸村がリョーマに敗れることで立海は全国三連覇を落としてしまう。
「テニス、楽しんでる?」リョーマの問い掛けに丸井はベンチで首を振り、ジャッカルは唇を噛む。なぜならそれが立海のポリシーだからだ。どんな犠牲を払っても、勝つことを第一に考える。

彼らが犠牲にしたものはなんだったのだろうか。もう一度関東立海でのプラチナペアを思い出したい。
関東大会から全国大会にかけて、彼らは明らかに変化していた。楽曲も、以前のようにベンチや客席を巻き込み盛り上げるものではなく、対戦相手に「俺たちはプラチナペア」と見せつけるような歌になった。

三連覇を果たせたら報われただろう。だが結果は立海の敗北に終わる。
これが二つ目の否定だ。

全国大会決勝戦で、プラチナペアは「自分たちのプレースタイル」と「立海としての信念」を一度に打ち砕かれる。そしてそれは、これらを積み重ねて来た3年間の否定でもあった。


3rdプラチナペアの救済

原作で描かれているのはここまでだ。
新テニでもふたりの仲の良さはたびたび窺えるが、あの敗北をどう受け止めたのか、テニスに対する気持ちは何か変化したのか、そのあたりについてはほぼ全く言及されていない。

ここを描写したのが3rdシーズンで追加された立海メンバーの卒業式のシーンだった。
とはいえあくまでテニミュはテニミュであり、原作と完全にイコールかと言われてしまうと正直微妙ではあるのだが、そもそも公式サイドからプラチナペアの「自らを振り返る言葉」を聞かされたこと自体初めてである。だからこれは、広義的なプラチナペア全てに対してではなく、”3rdシーズンのプラチナペアに対してのみの解釈”とする。

さて、卒業式で「お前ばっかり走らせて悪かったな」とバツが悪そうに謝る丸井に向かって、ジャッカルは「楽しかったぜ」と答える。

立海は結果が全てのチームだ。
プラチナペアも攻守を明確に分けるプレースタイルで全国最強ダブルスの名を保ち続けてきた。
ふたりがなぜこのスタイルを選んだのか。
それはもちろん「勝つためだけに他ならない」。

だから勝ち負けという結果にこだわるとき、プラチナペアは否定されてしまう。「自分達のダブルスはこれで良かったのか(=良くなかったのではないか)」という考えが出る。
卒業式での丸井はそうだった。自分が攻撃に徹すれば勝てるからジャッカルに守備を全部やらせていたのに、負けてしまった、という後悔。信頼に応えられなかった悔しさ。
彼が苦しむのは、どれもこれも勝つためにやってきたことだからだ。

だから、ジャッカルが丸井とのダブルスを「楽しかったぜ」と言うのは、相棒を走らせ続けてしまったと思っていた丸井の心と、最後の最後に決勝戦で敗れて三連覇を逃したプラチナペアの3年間をまるっと救ってくれる奇跡のような一言だと思っている。

「楽しかった」というのは、結果ではなく過程を指す言葉だ。
だからこれは立海の一員としてではなく、共に歩んだ相棒としての言葉である。

丸井にとっては新風のような言葉だったはずだ。言ってみれば新しい視点からの評価だったのだから。仲間との誓いは果たせなかったけれど、それも紛れもない仲間からの言葉で、この瞬間プラチナペアの3年間は全て肯定された。

楽日以外では、この言葉を聞いた丸井はまるで思いがけないことを言われた、という風にジャッカルを振り返ったあと、歯を見せて笑い「またやろうぜ」と返す。その驚いた顔が印象的だった 。
まるで「立海」という縛りを取り除いたときに、こんなものさしがあったのかと心から意外に思ったような表情。だけど、彼は知っていたはずだ。テニスの楽しさを。楽しいテニスにだってちゃんと価値があることを。
「テニスを楽しまなければ意味がない」。そう歌ったのは彼だった。

もちろんジャッカルにだって苦しんだ時期があったはずだ。
でも、最後には負けてしまったけれど自分たちは良いダブルスだったと、受け止めることはできる。勝ち負けだけが全てではないのだから。そんな考え方を彼は全国での敗北から卒業式までの間に取り戻すことができていた。

他のダブルスペアと違い小学生の頃から交流のあるふたりだからこそ、原点には「テニスって楽しい」という気持ちが根付いていたはずだ。
最後の最後にふたりはここに帰って来ることができたのではないだろうか。

関東立海での初お披露目の時から、先代と大きく異なる底抜けの明るさや楽しさを前面に押し出して来ていた3rdプラチナペアだからこそ、このやり取りがとても沁みた。

これこそが青学との対決で彼らが得たものであり、もっと言えば”このセリフを3rdプラチナペアを作ってきた公式がふたりに言わせた(言うことを許可した)”ということがふたりにとっての救済だと思う。

なお、立海の卒業式ではプラチナペアに限らず、皆がそれぞれの捉え方で自分の3年間を振り返っている。
無敗の掟という鎖で自らを縛り付け、結束を深めながらも、だんだん視野を狭くし身動きが取れなくなっていった立海テニス部のメンバーたち。
その呪いから解き放たれたとき、彼らが何を思ったのかは必聴である。

それと同時に、彼らの3年間は決して間違ったものではなかったということもここに書き留めておきたい。
立海が青学の価値観と出会って取り戻したものがあるように、立海の価値観と出会ったことで変わった青学のキャラクターもいる。
異なる信念を持つもの同士だからこそ出会い、ぶつかった。勝利も敗北も、彼らがこれから歩んでいくのに必要なものだった。

「お前の道はお前が決めろ」「俺の道は俺が決める」という歌詞が3rd立海の皆にとっての祝辞になればいい。
全国大会準優勝、おめでとう。




余談だが、バラエティスマッシュで彼らを演じた俳優同士が「自分達にしか作れないプラチナペアにしよう」と、色々な話し合いをしながら全国決勝戦を作り上げたと話している。実際には年齢差のあるふたりで、普段からお互いに頼りにしている様子だった。そんな関係性が役柄にも透けて見える。
色々あった(本当に色々あった)ので、無事こんな形ではあるが卒業を迎えられてほっとしている。なんだかんだ良いダブルスだった。ありがとうございました。