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みんな現世に落ちてきた天使だったのか?

もう何ヶ月も前の話だが、Twitterの相互さんに『0X1=LOVESONG』という曲を教えていただいた。今をときめくTXTさんの代表曲である。知らんけどきっとそう……なぜならとってもいい曲だったから……!

メロディや伴奏、歌声にダンスと構成要素のどれもが美しく、パズルのようにかっちりと嵌まりあって魅力的。そして何よりストーリー性の高いこのMVよ。

き、綺麗〜〜〜〜〜!!(ため息)

ところで、このカットで気になるのはやっぱり中央の「天使」さんである。歌詞にもよく登場する「天使」とはなるほどこの子のことか。なるほどなあ、と思っていたら……

ペットボトルに埋まって助かったのかもしれない……

天井に空いた穴、折れた角材。ちょっと待って。あなたも落ちてきたんですか?

『0X1=LOVESONG』には全部で3つのMVがある。このうち、カンテさん扮する天使が登場するのはJapanese verだ。

空から落ちてきた5人はバラバラの場所で時を過ごす。しかし空から星が降るのを見て、苦しそうに声を上げる。5人は誰とも出会わない。以上が、『0X1=LOVESONG(Japanese ver.)』MVの大まかな流れである。

では、歌詞の方はどうだろうか。
「奈落の底でも君が唯一のglow」なくらい、”僕”に並々ならぬ思い入れを持たれている”君”。”僕”は「ある日現れた天使」のような”君”に出会い、恋(もっと大きな感情かもしれない)をする。

つまり、「I know I love you」によって”僕”は自分の存在を確かめている。だから”僕”は”君”から離れられないのだ。”君”がいなければ、”僕”はもはや自分の存在に実感を持つことができない。

0(=nothing)な”僕”にとって、”君”は1(=All)である。0と1の出会い、それこそが愛=LOVESONGなのだ……大雑把にまとめるとこんな感じだろうか。

となると、わかっていても気になるのが”僕”から”君”に対する感情の重さである。いわば自我を”君”に依存している状態なわけなので、絶対に”君”を手放すわけにはいかない。でも、それってかなり不健康じゃないだろうか?

なぜ”僕”が”君”なしではいられないのかといえば、”僕”ひとりでは自我を持ちづらかったからだ。「死んでもよかった」と受け身に話していた”僕”は、「I love you」と知ることで、初めて”君”を求め始める。

では、ここでいう自我とはなんだろう。受け身であることを「自我がない」とするなら、こうしたいという「意思」がないことを「自我がない」と呼べるのではないだろうか。ならば”僕”が「意思」を持てれば、”僕”は今の不健康な状態から脱却することができる。どうすればいいだろう?

印象的なシーンが、残り2つのMVにある。

Japanese ver.とは異なり、『LO$ER=LOVER』と同じ世界線のストーリーが展開されている。「天使」カンテさんが目立っていたJapanese ver.に対し、これらの主役はどうやらヨンジュンさんのようだ。

家は広く、娯楽も十分。ところが背後の両親は何やら口論中らしい。物質的な豊かさは、心理的な豊かさとイコールではないことがわかる。ヨンジュンさんはこのあと家を抜け出し、5人で車に乗り込む。

物質的な豊かさ

ここが難しいところだ。モノも情報も飽和している現代では、モノの方からこちらに語りかけてくる。「こんな機能ほしいですよね?」「こんな生活はいかがですか?」、そんな無数の提案の中から、私たちは日々選択している。

その状態が続くと、自分が何を欲しいのか、何がしたいのか、簡単にはわからなくなってくる。目の前にあるものから選べばいいので「意思」が薄れるのだ。今の社会がそうなのだから、まして若い”僕”は「意思」を持ちにくくて当然だろう。

ひとりで退屈そうにゲームをしているヨンジュンさんは、「意思」のない”僕”であると捉えられる。けれど5人で車に乗り込むと、エンストした車を押したりプールで遊んだり、何かをする「意思」が生まれているのが見てとれた。もしかしたらヨンジュンさんにとっての”君”とは、4人それぞれのことだったのかもしれない

では、4人それぞれにとっての——例えばスビンさんやヒュニンカイさんにとっての”君”とは、誰だったのだろう? 『LO$ER=LOVER』でそれぞれやり切れない思いを抱えていたらしい4人にも、もちろん「意思」を持つきっかけになる”君”がいたはずだ。順当に行けば、自分以外の4人が”君”だったということになる。

だが、ここで矛盾が生じる。ヨンジュンさんは4人=”君”に出会うまで、「意思」を持たない”僕”だったはずだからだ。これは一体どういうことなのだろう?

ということで、Japanese ver.のMVに戻る。note前半では、「意思」を持たない”僕”のもとに現れたのが、天使のような”君”であるということだった。しかし他2つのMVを見ていると、なぜか”僕”と”君”が入れ替わっているようにも感じられる。この矛盾を整理したいところだ。

先ほどのMVでは、ヨンジュンさん=”僕”について考えた。今度は「天使」カンテさん=”君”に注目して見てみよう。

やはり「天使」なので、印象的なのはこの翼だろう。でも、よく見ると何かがおかしい。

そう、この翼はハリボテなのだ。シルエット=遠くからではわからないが、どうやら着脱可能な手作りの翼のようなのである。つまりカンテさんは生まれながらに「天使」だったわけではない。あの翼は、自分で作って自分で背負った、見せかけの翼でさえあるかもしれない。では元々はどのような存在だったのだろう?

翻るブレザーからはためくシャツは、一見翼のようにも見える

答えはMVの中にあった。みんなと一緒に空から落ちてきた。それが「天使」カンテさんの元々であった。

このことから、”君”について面白いことがわかる。”君”は別に元から特別な「天使」だったのではなく、”僕”にとって「天使」に見えていただけかもしれない、ということだ。

であれば、”僕”=ヨンジュンさんが4人にとっての”君”であった可能性も、何ひとつ矛盾していない。ヨンジュンさんだって、4人から見れば「天使」=”君”だったかもしれないのだ。もし本当にヨンジュンさんが何も持たない「0」だったのなら、そもそも4人が彼のもとに集うことはなかっただろうから。

これは、冒頭で提示したもうひとつの問いに対しての答えにもなる。”僕”が”君”に依存している今の状態は、不健康だから、脱却した方がいいのではないかという問いだ。

今の状態は、もちろん不健康である。しかし「意思」を持てれば今を脱却できるはずだという考えは、置いておいても良いはずだ。なぜなら、「意思」のない”僕”が、同時に誰かにとっての「天使」=”君”となることがあり得たから。

誰しも、誰かにとっての「天使」となりうる。

きっと”僕”だってそうだ。

自分自身が何者なのか、何がしたいのか、価値ある人間になるためにどうすればいいのか……そう求められる時期が、年々早まっているように感じる。

それでも、今この現実に”僕”も”君”も立っている。元々はどちらだって、空から降ってきた輝くだった。流星群か、はたまた墜落か、わからないけれど、燃え尽きずにちゃんと地上に降り立って今も生きている。それだけで十分すごいことだよなあ。

苦しくても、先が見えなくても、急ぐ必要なんてない。悲しく切ないMVなのに、そう言って、最後に小さく背中を押された気がした。

ありがとう、『0X1=LOVESONG』!