青学10代目との初めましてから今まで

本当はドリライ2020が終わって、正式に彼らが卒業となってから文章にまとめるつもりでいたけど、こんな状況でそうもいかなくなったので今書くことにした。
私がテニミュに出会ったのは3rd全国氷帝からなので、青学10代目以外の青学は映像でしか知らない。テニミュの魅力に取りつかれて2年間、ずっと青学10代目は私のテニミュロードの中心にいた。
ドリライが中止になってしまったから当分は全立後編での卒業式が本当の卒業式ということになる。ただ、なんとなく「あれで卒業になってしまった」というのもなかなか気持ちが整理できないので、初めて彼らに出会ってから今までに感じてきたことを一人ずつ振り返って区切りとしたい。

(※一人1000文字くらい書いてます。長いです)

・乾貞治

彼の歌には力がある。
全国氷帝で初めて見たときから、10代目の中でも彼はかなり歌が上手かった。
3rd立海の柳生にも同じことが言えるのだが、彼の声はその場の空気を刻み直すことができるものだった。

全国氷帝以降の乾は、これまで青学全体のためにデータを使っていたところから「後輩を育てる」方向に重きを置くようになっていく。
なかでも彼が特に可愛がったのが、ダブルスを組んだ海堂だった。

10代目乾の初戦は全国氷帝戦だ。この時点では原作でも乾と海堂の関係性はまださっぱりとしている。彼の演じる乾もなんとなく淡々とした印象だった。
四天宝寺戦ではコメディパートを担当したこともあってか、以前よりユーモアも出て感情の起伏がやや大きくなったように感じた。

ここまでを経て、乾にとっての集大成となる全国立海戦がやってくる。
乾は大会を共にしてきた海堂と共に、幼馴染でありライバルでもある柳・切原のダブルスペアに挑むが、切原の悪魔化の前に倒れる。最後は相棒である海堂の悪魔化を最後の力を懸けて止め、棄権負けとなる。
大阪公演の初日から楽日にかけての間だけでも、彼から海堂への思い入れが毎日どんどん深まっていくのがわかった。
以前インタビューで「乾はもっと海堂を可愛がって」と演出のかたから指示があったと話していたが、全国氷帝とは比べ物にならないほど海堂との絆が強固なものになっていくのが伝わるのだ。
それに比例して、彼も激情を表に出すようになってくる。

ここで彼の歌声が生きてくる。
全国立海D2ラストの『一直線上の真逆』、『思い出せ、越前!』曲中の乾パート「そうだ お前はテニスの申し子」、そして全国立海後編での『傷だらけのチャレンジャー(仮)』中「頑張れ」など。
元々聞く人を引き付け空気を一変させる力を持った歌声に感情が乗るようになったことで、彼の歌が何倍も活き活きと聴こえるようになった。
舞台に立つ彼が、集中力と磨き上げた歌と積み重ねてきた熱い思いをもって会場を支配する。
彼が歌うと場の空気が一気に締まる。
円盤ではなかなか伝わりづらく、劇場での体感ではあるものの、彼の歌声に何度鳥肌が立ったか分からない。

全国立海後編大楽の『BANZAI』では思わず貰い泣きしてしまった。
不意を突かれたのもあるけれど、彼がどれほどの思いでこの役に臨んでくださっていたのかを垣間見たような気がして、少し嬉しかった。

・海堂薫

そんな乾とダブルスを組み続けた彼は、とても熱くて真面目な人だった。
よく動く表情と緩急の大きいセリフ回しでの演技は迫力がある。
また、彼はよく先輩や先代について言及していた。
とにかくいついかなる時も、周りから学び、演技を深めていこうという姿勢が印象的だった。上演中のブログやSNS、インタビューなどを見ていても彼のストイックさが滲んでいる。
本人はしっかりして陽気な人のようだけれど、どことなくキャラクターと似ている。ずっとそう思ってきたし、それが彼の強みだとも感じていた。

加えてこれは個人的な感想だが、彼は下パートのハモリに回った時の安定感が抜群に良い。
声域が広いのか、元々声が通る方なのかわからないが、メインパートでもハモリでもここまで差をつけずに活躍できる人はあまりいないんじゃないかと思う。

この二点を踏まえて、全国立海前編D2で彼は驚異の大立ち回りを見せた。
テニミュにおいて先輩であるふたりを相手に果敢に食らいつく。毎日死にもの狂いで挑み、毎日敗北する。
日々アップデートされる演技に熱は高まり、会場に広がる絶望は日を追うごとに濃密な物になっていく。
膝が痣だらけになっても、赤也を止めようと突進してポールに身体ごとぶつかり、その衝撃でバンダナが飛んでいってもやめなかった。
乾との関係を象徴する名曲「一直線上の真逆」も、彼は見事に歌い切ってみせた。
サビでメインパートとハモリが丸ごと逆転するという構成の曲だ。そんな難しさも感じさせないハーモニーを彼らは毎日聞かせてくれた。

先輩を慕って慕って、それでもなお届かず崩れ落ちる。苦悶の表情、悲痛な叫び声。ラストシーンには"慟哭"の言葉がぴったりくる。
こんな試合があっていいのだろうかと寒気がしたが、それは私が原作でこの試合を読んだときに覚えたものと全く同じ感覚だった。
フィクションだった光景が今、自分と地続きになって現実にある。彼が見せてくれたのはそんな景色だった。

そして、全国立海戦の核にある「テニスって楽しいじゃん」という気づきは、この深い穴の底から見える小さな光である。この絶望を底として、観客はキャラクター達と一緒に天衣無縫の極みへと登って行く。
彼があのとき観客を巻き込んで引きずり落としたのはそんな世界だ。

余談だが、全国立海後編での彼は少しキャラクターが迷走しているように見えた時期もあった。
今まで揺るぎない芯を持っていた彼が、なぜかここに来て迷っている。部長になり振る舞い方がぎこちなくなっていた海堂と重なるようで、そんなところも微笑ましかった。

・桃城武

彼も燃えたぎるような熱さを持った人だ。けれど、海堂のそれとは少し系統が違う。
私は全国氷帝からテニミュを見始めた。だから彼と忍足のS3が初めて生で見たテニミュの試合だったのだが、あのとき受けた衝撃が私がテニミュにハマるきっかけとなり、全国立海後編まで通う原動力になった。
歌もダンスも演技も特別上手いわけじゃない。でも、なりふり構わず全力。
全力すぎて驚くくらいだ、なのになぜか目が離せない。
そんな状況だったのにアンコールでハイタッチまでしてもらってしまい、腰が抜けて客席からなかなか立ち上がれず、壁伝いにやっとの思いで劇場の外に出た。
(当時同列だった人達には本当に申し訳なく思っています)

彼の武器はやはり爆発力だと思う。
なんというか、気合が有り余っている。みなぎりすぎて、役からはみ出してしまって、制御しきれない。そんな感じ。
バクステでも「感情移入しすぎてしまう」と自分で言っていた。
ところがこの大きすぎる情緒の波がキャラクターと融合してとんでもない熱量を巻き起こすことがある。

それがよく体感できるのが「思い出せ、越前!〜思い出せ、越前!2」で見せた演技だ。
声を荒らげ、涙で顔を歪めながら、それでもリョーマをまっすぐ見据えて諦めない。苛立って、悲しんで、流した涙が乾かないうちにリョーマの変化を喜んだりもする。
理屈抜きで見る人の心を揺さぶってしまう、迫力のシーンだ。

リョーマに対して見せる兄貴ぶった態度、海堂との等身大なやり取り、先輩を見る尊敬と負けん気の入り交じったまなざし。
おそらくキャラクターとしてだけではなく、彼がカンパニーの仲間に対して抱いてきた思い出を、彼は桃城武としてオーバーラップさせ舞台上に展開させてみせた。
自分自身とキャラクターとの通ずる所をひとつひとつ拾い上げ、重ね合わせて演技に乗せる力が彼にはあった。そうやって作られた演技は、100%が嘘ではない。現実を使って作られるから真に迫っている。だから彼に心を動かされる。

初めて見たとき、彼は歌もダンスも演技も特別上手くはなかったのだ。
けれど、彼ほどこの2年間で見違えるようになった人もいないのではないかと思う。
全国立海後編での姿はまるで別人だった。
今まで出なかった音域が出るようになり、歌声が通るようになり、ダンスにキレが増し、セリフの癖が抜け、見せ方もずっと上手くなった。
日替わりパートで客席に降りる時は観客がウェルカムな姿勢を取って彼を受け入れていたし、彼も振る舞いから自信が見えてより輝いて見えた。
大千秋楽で満天の笑顔で歌い踊る彼を見て、私はこの2年に立ち会えて本当に良かったと強く思った。

・河村隆

桃城と同じパワータイプの選手でありながらも、優しくて不器用な青学の「お荷物」、タカさん。
四天宝寺戦ではそう財前に揶揄されていた。
そういえばこの時白石が「言葉には気を付けなさい」と財前を叱るが、河村が青学の「お荷物」であることは否定しないあたりに、実力主義な四天宝寺の雰囲気が透けて見えて面白いシーンだなと思う。

さて、では青学10代目ではどうかといったところだが、実際は全くそんなことはなかった。
癖の強いタカさんの声なのに、ストレスなくナチュラルに聞ける。
むしろ全国氷帝時点で既にかなりクオリティの高いタカさんだった。貫禄すらあった。M2「忘れ得ぬ戦い」での関東氷帝再現を見たときに「本物がいる……」と息を飲んだ記憶がある。

彼の見せ場はやはり四天宝寺戦でのS2だろう。
この試合は相手もテニミュが初舞台にかかわらず完成度の高い銀さんだったため、とても迫力のある試合になっていた。
何度も吹き飛ばされ、朦朧としながらも最後まで立ち向かう。
彼だったからこそ、青学10代目としては2度目の本公演で、タカさんとしては最初で最後の試合でも、ここまでクオリティの高いS2が完成したのだと思う。
テニミュは俳優自身の成長も合わせて応援するものだと思っていたが、彼に関しては最初から安心して試合にのめり込み、楽しむことができた。

全国立海後編の大千秋楽で不二と最後の挨拶をするとき、目にいっぱいに涙を溜めていた姿は、何度も原作を読んで思い描いていた優しいタカさんそのものだった。
思えば、青学の中で一番全員とまんべんなく関係を築けているのはタカさんなのかもしれない。
誰かに特別入れ込む訳ではないけれど、一人一人を優しく見守り、同時に一歩引いてどこか遠慮している。
それは全員の気持ちに寄り添い、理解しようとするからこそ生まれる尊敬から来るものだ。
四天宝寺戦で手塚が言った「お前がいてくれてよかった」という言葉こそ、青学レギュラーからタカさんに一番かけてあげてほしかった言葉だった。
私もそう思う。タカさんがいてくれて本当によかった。

彼のタカさんは、演技どうこうではなく、舞台上で「生きていた」と思う。
うまく言えないけれど、今まで続いてきて、これから先もずっと続いていくタカさんの人生のほんの一端を、ステージ上で見せてもらっていた感覚だった。
もし全国立海前編「油断せずに行こう2019」の円陣シーンでのタカさんを見たことがない人がいれば、ぜひ見てほしい。
あのとき手塚に向かって力強く頷き、ラケットを掲げ、再びコートに戻る手塚を見送るまでの表情全てに、彼の素晴らしさが詰まっている。

・不二周助

正直なことを言うと、私が青学10代目の中で一番心配していたのが彼だった。
技術面での不安があった訳ではない。
タカさんを演じていた彼が「舞台上で生きている」ように見えたのに対し、彼はまさに「不二周助を演じる」人だった。それは悪いことではない。素敵な演技をする人はたくさんいる。
でも何となく、彼が演じる上で拠り所にする「不二周助」が常に揺らいでいるように感じたのだ。全国氷帝時点での目を細める仕草や声色の作り方などにどこか記号的な「不二周助らしさ」を感じていた。
だから、卒業までにどうか「自分らしい不二周助」を彼が見つけられますようにと切に願っていた。

全国氷帝と四天宝寺を経て、着実に歌やダンスは良くなってきていた。公演ごとにアップダウンはありつつも、確実に何かが変わってきている。
でもあともう一歩、もう一歩行けるはずだと外野ながら思っていた。
原作の不二に、もっと行けるはず、頑張れ、と祈るような気持ちで胸を痛めていたときと同じように、気づけば彼に対してもそう願ってしまった。

そしてその日はやってきた。
忘れもしない大阪初日、全国立海前編S2。
不思議な感覚だった。手塚にイリュージョンした仁王を前にクローズドアイで戦う不二。
そのシーンの彼に、歴代の不二が次々に重なって見えたのだ。
目を疑った。信じられないまま会場を後にしてTwitterを開くと、TLに同じようなツイートが散見された。私だけではなかったのだと驚いた。
皆が口々に何代目の誰が見えたと呟いていた。

今BDに収録された映像を見ても、あの時のように彼と違う他の誰かが重なるような感覚はない。
もしかしたら、彼は過去の映像を見たのかもしれないと思った。四天宝寺戦のS3は曲がアレンジされていたから分からなかっただけで、彼は何度も何度も過去の映像を見ていたのではないか。
それこそダンスや仕草に滲み出てしまうほどに。でないと説明が付かなかった。

過去の不二の影がすっかりなりを潜めた代わりに、今までに見られなかった色々な表現が彼に生まれていた。
手塚との思い出を回想する無邪気な笑顔や、闘志に瞳をぎらつかせる姿。見えないものまで見通そうと目を眇めたり、仲間の奮闘を唇を噛んで見守ったりもする。
これが「彼の不二」か、と。
歴代の不二を全て背負ってステージに立った彼は、いつの間にかその誰とも違う、彼だけの不二周助になっていた。

いつ頃からか、彼のツイートに「青学全員で」「みんなで」という文言がよく見られるようになっていった。
彼の心境にどういう変化があったのかはわからない。けれど、今までそういうことをあまり口にしてこなかった彼の言葉に、私もだんだんと卒業を意識していった。
不二周助という原作屈指の大人気キャラクターを背負うこと、そのプレッシャーは計り知れない。
私の周りでも賛否両論あった。私自身も最後まで良し悪しでは彼のことを評価できなかった。

でもこれだけは自信を持って言える。
私は彼の演じる不二周助が大好きだった。

・手塚国光

そんな不二役の彼と親交の深かったこの人も同じく「手塚を演じる人」だったと思う。
几帳面にシナリオとキャラクターをなぞっていく芝居が印象的で、常に指先まで神経が行き届いているような人だった。
演技に私情が見えないというのが最初に抱いた感想だった。そしてそれは最後まで変わらなかった。舞台上では「手塚国光」を崩さず、キャラクターでいることに徹してくれる。そんな真摯さが彼の魅力だと思う。
(※ただしカーテンコールでの挨拶を除く)

どんなに細かい描写でも拾い上げ、原作の手塚をそのままステージで体現する。
仏頂面とわずかな声の抑揚にいくつもの感情を乗せることは並大抵の難しさでは無かっただろう。
だからなのか、彼は台本外での演技がとても多かった。

原作の手塚に徹しながらも、描写されないシーンやセリフまで演じるとはどういうことか。
例えば全国立海前編S3でベンチの海堂をオフマイクで「やめろ」と制したり、手塚にイリュージョンした仁王としての演技中に無い尻尾を指で弄ったりという仕草にそれが見られる。
「あのキャラクターなら確かにこうするだろう」と彼は観客に納得させることができたのだ。
隙無く、台本に書かれていることはもちろんそうでないところまで、彼は全て「原作の手塚」に裏打ちさせて演じていた。
だから説得力が半端じゃない。ステージには、俳優である彼と完全に切り離された「手塚国光」そのものが存在していた。

全国立海前編S2「イリュージョン」曲中の彼を見た時、その瞳のあまりの虚ろさにゾッとしたことを覚えている。
真田と激戦を繰り広げた手塚とは違う。このとき彼が演じていたのは「仁王のイリュージョン対象である手塚」だ。正しく操り人形の顔だった。
それも彼が原作に忠実に則ったからこそ生まれた表現だったのだろうと今は考えている。

ところで、舞台上で彼は自分と手塚を完全に切り離すことに成功していたが、俳優と役とのギャップに最も驚かされたのも彼だった。
ライブビューイングの特典映像での暴れっぷりが記憶に新しい。彼自身の印象は、朗らかで天然ないたって普通のお兄ちゃんだ。
青学のメンバーを愛し、愛され、時にはムードメーカーとして、またある時には部長としてチームを纏めてきた。
大千秋楽の卒業式で最後に大石と言葉を交わした時、零れた涙だけが、彼が舞台上で「自分自身」を滲ませた唯一のものだったと思う。


・大石秀一郎

青学の二本柱、そのうち一本は手塚で、もう一本は副部長を務める彼である。
大石は手塚が不在の際には部長としてチームを率い、手塚復帰直後の比嘉戦は怪我の再発により欠場していた。
代替わりして彼が大石を演じることになったのは、全国氷帝での黄金ペア復帰戦からである。
原作のストーリーで考えると実に関東立海以来の試合だ。
部長を退いた全国氷帝以後の大石は、ゴールデンペアの片翼としての側面を中心に描写が進んでいく。
ここからが紆余曲折あったゴールデンペアの、まさに総仕上げとなる。

彼は菊丸役の彼と同じ事務所に所属している。
だから最初からお互いのことを知っていた。
先代までの黄金ペアと決定的に異なるのはここだ。
初めから知り合い同士である二人をゴールデンペアに起用することで、全国氷帝からの参戦であっても作中で築かれてきた二人の絆を引き継げるようにした。それもあってなのか、彼の演じる大石は副部長らしい威厳よりも菊丸のパートナー感が強い。

全国氷帝以降のゴールデンペアのキーワードは「シンクロ」だ。ここから先、このダブルスは物語の最後まで解体されることはない。
しかし同時に彼は副部長として手塚の理解者でもなければいけなかった。
ゴールデンペアの片翼としての大石と、青学の二本柱の一本としての大石。同じキャラクターでありながら性質の異なる二者だが、先述した彼の印象がここに新たな解釈を生んだ。

副部長らしい厳しさより菊丸のパートナーらしい明るさの方を強く持ち合わせていた彼は、手塚との回想を「部長と副部長」としてではなく、「ともに優勝を目指してきた仲間」としての側面を大きく見せながら展開した。
「ファイト&ウィン」中の歌詞「幼い頃から励まし合い 喧嘩しながら誓った約束」にも見られる、部活での関係を超えた友情があのシーンで表現されたのだ。
手塚と対等に語り合える、良き友人。
大石が副部長である前に前提としなければ成り立たない、二人の関係が垣間見えて切なかった。

彼自身にも、全国氷帝から全国立海後編に至るまでに、感情が高ぶるシーンでがなる癖が取れたり、ダンスの振りが柔らかくなったりと様々な変化が見られた。
これを踏まえてのゴールデンペアとしての活躍は、次項の彼についてと共に記述しようと思う。

・菊丸英二

言わずと知れた大石の相棒である菊丸は、全国氷帝までに様々な壁にぶつかり、乗り越え、一回り大きくなってゴールデンペアを再結成した。
8代目青学の本田礼生さんが「成長する前の菊丸を逆算して演じていた」というエピソードが有名だが、言うなれば彼は「成長した後の菊丸」だ。

ムラのある気分屋から、後輩の面倒を見ることも覚え立派に先輩となった。
この時点での菊丸像に、彼は良くマッチした。
青学メンバーの中でも歳上だったことも功を奏したのか、天真爛漫に振舞っていてもどこかお兄ちゃん気なのだ。
重心を感じさせない軽々としたダンスやアクロバットも菊丸のイメージにピッタリだった。
細かい解釈などは抜きにして、正直めちゃくちゃ好みの菊丸が現れたと笑みがこぼれてしまった。

緊張にあまり強くない人なのか、地方楽などのタイミングでのミスがしばしばあった彼だったが、終始とても軽い身のこなしを見せてくれた。
バク宙を飛びながら歌を歌える人は初めて見た。
そんな華のあるスタイルに加え、ゴールデンペアとしてのパフォーマンスも素晴らしかった。
菊丸のパートナーらしい明るさを備えた大石と、天真爛漫でありながらしっかりもしている菊丸。
非常にバランスの良い二人だったと思う。

初めて見たとき、なんとなくこのゴールデンペアは中学で別れてしまうような気がした。
片方がいなくなっても、もう片方もしっかりやって行けるような二人に思えたのだ。
だから残り少ない試合に一層思い入れが募った。
依存し合うのではなく、自立した二人が、二人でテニスをできる喜びの下に寄り添っている。
彼らのダブルスはそんな風に見えた。

結局、卒業式の演出を見る限りではやはり彼らは中学を限りに別れてしまうのだろうと思う。
そしてそれは、キャストにとっても同じことだ。
初めから終点が見えていた二人だからこそ、舞台上でより輝くことができたのかもしれない。

・トリオ(堀尾、カツオ、カチロー)

彼らのことを3人別々に書くか一緒に書くか迷ったのだが、劇中では3人セットでの役割を重視されていることが多いので、纏めて書くことにする。

しかし3人ともキャラの立った人達だった。
調子乗りな性格ながら力強くトリオパートを回していく堀尾、意外と毒の効いたツッコミの切れ味が面白いカツオ、愛嬌を存分に活かしてグイグイ相手に食い付いていくカチロー。
セリフの間合いもどんどん良くなっていく日替わりパートは毎日の公演の楽しみだった。
それだけではない。彼らの演技は、公演の中でもひときわ目を引く。

劇中でストーリーテラーの役割も果たす彼らは、「3人の動きが揃っていること」がまず前提として求められる。
息が合っていて当たり前だと思われてしまうところがこの役の難しさだと思う。
ラリーに歓声という形で適宜解説を挟みながら、いかに円滑に会話劇を回していけるか。
「トリオが最も重要な役」というのは本当にそうだ。
彼らのいないテニミュなんて考えられない。

ほんの少しの抑揚の差で引っかかりが生まれる。
「よく分からないけどなんだか今のは変だった」と感じる日もあれば、「今日はスっと耳に入ってきた」と感じる日もあった。
なんて細やかなコントロールが必要なのだろう。
積極的にスポットが当てられる役どころではないとはいえ、彼らのことを尊敬してやまない。

歌唱とダンスももちろん圧巻の出来だった。
全国氷帝時点でもかなり揃っていたが、全国立海前編「思い出せ、越前!」のトリオパートは何度観ても鳥肌が立つ。
ハモるのがとても上手な3人だと思うし、大千秋楽では歌っている最中の表情の動きも大きくなっていて胸に刺さるものがあった。

1人ずつでも、3人揃ってでも、遺憾無く存在感を発揮していた彼らのトリオをもう見られないのは、やっぱり少し寂しい。


・越前リョーマ

10代目はやはりこの人抜きでは語れないだろうと思う。
リョーマが青学の柱を意識し中心となっていくタイミングでの代替わり。ここで、彼は9代目からたった1人だけ自分の役を引き継いだ。
原作でも、カンパニーとしても、リョーマが引っ張っていく構図を作った形になる。

彼が座談会で「1対11」と言っていたように、彼と新生青学とでは実力でも気持ちでも差があったはずだ。
青学だけでなくカンパニーの座長も務めなければならない。そのうえ演じるのは主人公。
彼がどれほどの重荷を背負っていたのかは測り知れない。

全国氷帝戦以降、リョーマは全ての試合でS1を担当する。
これは青学が「手塚」から「リョーマ」へと大きく舵を切ったことの表れであり、テニミュでは毎公演の大トリに彼の試合が来ることになる。
その全てが名試合だった。
経験の差もあったのか、それとも彼自身の熱量によるものなのか、とにかくどの試合も目が離せない圧巻のものだった。

跡部とは30分以上続く激戦の末に勝利し、彼が青学で学んできたことを反芻して次へと繋ぐ。
続く四天宝寺戦では一転、金太郎を相手に「楽しいテニス」を展開する。
決着は付かずに終わるものの、この経験が天衣無縫への伏線となる。
全国立海前編では試合こそ無かったが、彼に記憶を取り戻させるためのテニスが公演の大トリとなっている。
第一幕の陰鬱とした空気から、桃城・海堂・乾にテニスを教わるリョーマの晴れ晴れとした表情が印象的だった。
ギリギリまで重く落としてから、希望を見せ、最後は明るく盛り上げて終わるこの構成こそ、後編を前に「楽しいテニス」を観客に印象付けておく布石だったのではないかと思っている。

そして満を持しての全国立海後編。
2時間30分ほとんど出ずっぱりのリョーマは、記憶を取り戻し、S1で幸村を相手に怒涛の試合を繰り広げる。
記憶を失っているときの演技プラン、そして天衣無縫の極みに至るまでのラリー、会場中の照明を浴びて眩しいほどの笑顔で駆け回る姿。
そのどれもが素晴らしく、一つ一つ語るとキリがないほどで、本当に圧倒されたし感動した。
これが青学の先頭に立って走り続けた人の勇姿なのだ。
試合ラストの彼は文字通り光り輝いていた。

全国立海後編は彼にとってどれほど孤独な戦いだったのだろう。
少ない休演日の中でボロボロになりながら戦っても、弱気など少しも見せない彼は、まさにプロだったのだと思う。
何度も不安になったし、未来ある彼にこんな無茶をさせてしまっていいのか、それを「感動した」などと楽しんでしまっていいのかとも思ったけれど、そう思うこと自体が彼にとって失礼なことだったのかもしれない。
大千秋楽のカーテンコールでの挨拶を聞きながらぼんやりそんなことを考えた。
それでも、4年もの長い間、青学とひいては3rdシーズンを引っ張り続けてた彼には本当に感謝と尊敬の念でいっぱいなのだ。
あなたが越前リョーマで良かった。



10代目のアンコールソング「スマイル・アンド・ティアズ」の歌い出しに「スタートラインを引いたあの時 ゴールは想像しなかった」という言葉がある。
思えば10代目のスタートラインは初めから横一列ではなかった。
リョーマを引き継いだ彼をピラミッドの頂点に据え、上へ上へとまとまり続けてきた彼らがようやく「ポジティブシンキング」で横並びになれた。

「レディースタートダッシュ」では前半を丸ごとリョーマが引っ張る振り付けになっている。
続く「ガンガンドンドン」では、リョーマが一人率いる感じは薄れるものの、リョーマのソロパートで全員が後退し、彼を見据える。
そして「まとまれ一つに」なのでここでもまだ10代目は横並びになれていない。
ラストの「ポジティブシンキング」、リョーマは舞台を大きく旋回しながら「皆の鼓動が同じリズムを刻んでる」と一人一人を見て歌う。
ここに「このチームの一員になれてよかった」と続く。「ガンガンドンドン」でもあった振り付けだが、意味合いが全く違う。
ピラミッドの頂点に立ち、先頭を走り続けてきた彼はこの時、初めて青学の"一員"となったのだ。

たとえスタートラインが違おうと、ゴールテープは真横に一本しかない。
だから全員でゴールするためには全員が横並びにならなければいけない。
私が初めて出会ったのはそんな青学だった。
デコボコだったスタートから、時には笑い、時には肝を冷やし、忙しなかったけれど彼らの姿を見るのが毎日の楽しみだった。
初めましてが青学10代目で良かった。
その過程を今までリアルタイムで追い続けられて本当に良かった。
彼らに貰った思い出はきっと、これから先も私の宝物であり続ける。

沢山の感動と思い出をくれた青学10代目の皆に、今心からの尊敬と感謝を贈りたい。
いつか彼らが本当の意味でゴールテープを切れる日が訪れることを願っている。