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またも、お前に救われてしまって癪だという話を。

題名そのままの意味だ。これは限界ヲタクが綴る意味のわからない、支離滅裂な文章であるからしてどれほど解釈違いでもなんの責任も負えないことをここで留意させてほしい。

なお、文章の中に「社会からさようならしようとした」という表現があるがこれは他者に推奨するものではない上にこれを書いている現在はそんな気がさらさらないことを先に示させて欲しい。

最後の忠告。この先の文章を読んだことによる責任は一切負えないのでそこをご理解のちに読んでいただくことをお約束願う。これは僕のこころの整理のためのノートであるし、君に配慮したものを書くことは絶対にないので文句は言っていただいて結構だが責任はとれないからよろしく頼む。これが約束出来る方のみ呼んでくれ。以上。

夢追翔。まずはにじフェス2023前夜祭お疲れ様。とても良かったです。新曲もありがとう。ファンミもおめでとう、ありがとう。

……またもや、お前に救われてしまったよ。

救われた、というのは語弊があるかもしれない。救われたのではなく逆にクソみたいな現実に留まらせつづけられたのだからありがた迷惑かもしれない。まぁ、そんな瑣末な言葉の問題はこの際どうだって良い。

即ち、ぶっちゃけこのライブが終わったら「社会からさよなら」してもいいかなぁなんて思っていたのだ。

なのに。夢追翔の全身全霊のライブを受けて、夢追翔の新曲を聞いて、夢追翔の生き様を見せつけられて、
やめるか。となったのだ。

夢追翔は、ズルい。意図せずではあるのだが、ここ数週間夢追翔の音楽をきちんと見ていなかった。BGMになっていた。それを俺の音を聞け、と首根っこつかまれた気分だ。

わたしは以前、大体4ヶ月くらい前だろうか。この前夜祭でのソロパートが決定した時に勢い余ってnoteを書き記している。

詳しくは書かないがそれから紆余曲折あって、まぁもういいかなぁ。という気持ちになっていた。決して、誰とかのせいで〜やら明確な原因のこれが〜とかはなく。

だけれど。

新曲「虹の在り処」は、きっといつも通り、夢追翔が自分自身を救うために紡いだものなのだろうけれどまた、勝手に救われてしまった。悔しい。癪だ。

だが、これからもその生き様に勝手に救われ続けるのかもしれないな、と思ったりもする。

だからそうやって生き続けてくれよ。私をまた救った責任を負ってよ。 なんて、また勝手に背負わせてしまってごめん。勝手に何回も救われて、勝手に背負わせて、本当にごめん。

届かない想いと謝罪をここに印すことにする。
如何せん、癪なので。腹立たしい。また夢追翔に救われたのか。ちくしょう。お前、許さないからな。
勝手に背負わされて可愛そうな気もするが
まぁ、許してくれよ、ぼくのヒーロー。

p.s.
わたしは以前「青空を睨む」で文字通り人生を救われているので夢追翔には感謝と恨みを持っている。感謝こそすれど恨む必要はないのではないか、って?そう思うあなたはきっと幸せな人だ。そのままでいてほしい。そう思っているのにここまで読んでくれてありがとう。きっとあなたは私と違って優しくて良い人だ。いつまでも幸せであってくれ。

以上 2023/12/24 前夜祭現地で歌を聴いて死ぬのをやめた話。

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