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夢追翔へ送るエゴイズムと懺悔、そして哀願

閲覧注意:このノートは「もしかしたら夢追はライバーやめるなと言われたくないかもしれないな」という意味不明の前提に基づいて話しています.閲覧非推奨で自己責任とさせていただくことをご承知おきください.

閲覧者さまあなたへの配慮は一切ありません.

夢追翔、三周年おめでとう。このノートを君へ。

君がライバーであって欲しいというエゴ。君に泥臭くあって欲しいと思うのはこちらの傲慢かもしれないが許して欲しいという話。

夢追翔が三周年を迎えた。その時、多くの追っかけがイラストを描き、動画を投稿し、歌を歌い、最大限にお祝いをした。おめでとう、ありがとうの言葉と共に。僕も同じことをしようとした。夢追翔三周年に際して改めて彼に送りたい言葉を考えてみた。

「三周年おめでとう、活動を続けてきてくれてありがとう。四周年も駆け抜けていけ!夢追のうた沢山聞かせてくれー!!」

ずっとライバーでいてくれ、歌え、曲を書け、生きろ。

……ああ、僕は随分と多くのことを夢追に要求しているのだな、と。

ライバー活動を続けてほしい。歌ってほしい。動画をあげて欲しい。オリジナル曲を出してほしい。歌が上手になって欲しい。ゲーム実況をして欲しい。コンテンツを出してほしい。声を聞かせて欲しい。君の生き様を見せて欲しい。生きて、欲しい。

死なないで欲しい。

死なないでくれ。死を望んだ人に対して死ぬなという言葉が酷なことは誰でもわかる話だ。望まないことを強要されるのは酷だ。それの延長線上の話が僕はしたい。

僕は出来れば夢追にライバーでいて欲しいと思う。だけど、君がライバーを辞めたいと願うならそれに怒る権利も泣く権利もわめく権利もないのではないか。そうですかと納得する権利しかないのではないか。

では、判決がまだ下されないうちは?夢追がまだライバーを辞めたいと言わない間は?これから先もやめないで欲しいと願って、それを伝えてもいいのだろうか。

これも傲慢でエゴイズムに溢れていやしないか?

辞めたいと言わないからといって辞めたくないとは限らない。もう歌を歌たくない可能性もある。もう、生きたくないかもしれない。(あくまで可能性の話であり真意を僕らは知る由もないが)

だからやめた方がいいのかもしれないな、という話。

ライバー活動を今後も続けて欲しいですと伝えないでいるべきかもしれないな、という話。(→補遺へ)

君に死んでほしくないと伝えない方がいいかもしれないな、という話。

だけど、「辞めないで欲しい」と思わないでいるなんて、そんなの無理だ……。

だって辞めないでいて欲しいんだ、夢追、

ライバー活動を続けてほしい。CDが欲しい。歌ってほしい。動画をあげて欲しい。オリジナル曲を出してほしい。3Dライブをして欲しい。歌が上手になって欲しい。泣いていて欲しい。ワンマンライブをして欲しい。ゲーム実況をして欲しい。雑談で話を聞かせて欲しい。コンテンツを出してほしい。笑っていて欲しい。声を聞かせて欲しい。健康でいて欲しい。人生、もうちょっと頑張ってみてもいいかなって思って欲しい。君の生き様を見せて欲しい。生きて、欲しい。

死なないで欲しい。

もしかしたら重荷になるかもしれない。これらの言葉たち。

思わずにはいられなかった、ごめん、だから許して欲しい。

「‘夢追翔が夢追翔であり続けること‘を、願うこと」を許してほしい。

君がライバーを辞めたい、辞めると言うその日まで。

改めて三周年おめでとう夢追。ありがとう。

これからも、翔けていってくれないか、愛してる。

[蛇足]多分僕はずっと、夢追のことを偶像崇拝を続けるだろう。崇拝し続けてしまうだろう。辞めたいた思う心とやめられない行動は意外と世に溢れているのだ。勿論、口には出さない。行き過ぎた信仰はどうなるのだろう。神が落ちたとき、人間はどうしたのか。歴史では失望した人が多かったと思う。傷ついた人も多くいた。

僕は、どうなるのだろう、夢追がライバーを辞めるとなった時、僕は、どう思うのか。

[補遺]逆に伝えなさすぎると「ライバー活動を辞めた方がいいのかな?」とライバーが思う可能性は大いにあるので積極的に「好きだ!辞めないで!」と声を出すのが普通のファンの仕事だ。ここでの話は「もしかしたら夢追はライバーやめるなと言われたくないかもしれないな」という意味の分からん前提に基づいて話していることなので、一般事例には当てはまらない。多くの人はわかっているだろうがご留意いただきたい。

以上 2021/9/25 夢追翔三周年に向けて

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