どこかの夏

出かける用事があって外に出たら、蝉が鳴いていた。夏真っ盛りというわけでもなく、何をしていなくても微妙に汗をかくような気温の中で、蝉は一生懸命鳴いていた。幼虫から成虫になるタイミングが早かったのか、そもそも幼虫として土の中で生まれたタイミングが早かったのか、この時期に鳴いている蝉にはなぜか同情してしまう。いい相手、見つけられるのかな。同じ様に、早く生まれた蝉と出会えるのかな。

夏はあまり好きじゃない。ただ単純に暑いからだ。そして、どこか寂しい思い出がたくさんあるからだ。

小学校に上がる前や低学年の頃もそうだったけど、あんまり友達が多くなかった私は夏休みも大体家にいて、やることがないから夏休みの宿題も一週目にはほとんど片づけていたように思う。歳の離れていた姉はいつもどこかにでかけていて、話した記憶がほとんどない。そんな私を可哀想に思ったのか、父や母は本を買って来たりとか、近所の学校のプールに連れて行ってくれた。でも、結局遊ぶには一人だったなあと思う。暑い夏の日に、母と二人で日傘をさして学校まで歩いて行った。プールには私以外だれもいなくて、監視員のおじさんが高いところでじっと座っていた。母はプールサイドで相変わらず日傘をさして私を見ていた。私は一人、もくもくと泳いだ。カルキ臭い自分の肌が好きだった。母がアイスを買ってくれた。何アイスだったかは覚えていない。
お盆になると、子ども会の盆踊りなんかもあったが、私と同学年女子が子ども会には私を含めて3人しかいなくて、あんまり仲良くなかったから、行ってもつまらなかったなあとぼんやり思う。だけど、暗闇に浮かぶ提灯のオレンジ色の明かりや、高学年の子が叩く太鼓の音が、幻想的で美しいと思っていた。

中学校や高校に上がってから、夏休みはほとんど塾や学校の夏期講習でつぶれた。それがほっとしていた。人付き合いが人より上手くないことを、ちゃんと自覚していた。夏はそういう季節だった。

大学内で開催される文芸賞の大賞をとったのも夏だった。私の通学路にはひろびろと続く青田があり、用水路からいつも水があふれていた。夜には蛙の声が響き、はるか向こうに見える山の稜線が空を切り取っていた。空が果てしなく広い場所だった。あの土地の夏は、いつも、泣きたくなった。あんなに美しい夏を、あの場所でしか知らない。片手で数えるに足る友達と、エアコンの効いた部屋で寝転がりながら、ぼそぼそと語った。私の大学の夏は、ワンルームに収まる。

社会人になってからは、夏なんて関係なくて、ただ日々の仕事を片づけている。意味があるのかないのか、役に立っているのかいないのか、わからない仕事を、それでもきっと私のクリック一つで誰かのためになっているのだろうと思いながら、マウスを動かす。外に出なければ、夏なのか冬なのかも、わからなくなるオフィスで、周りや自分の服装を見て、季節を感じる。定時をすぎると空調が切れてしまうので、誰かが夕涼みの風を入れるために窓を開ける。湿気と、独特の夏の匂いがして、冬よりもみんな気だるげに残業をしている。一時間に何回か暑いね、なんて言い合いながら。白い画面のパソコンに小さな虫が集まると、ごめんねと言ってつぶす。この夏は何匹殺すことになるのかな。

夏が好きじゃない、というのはちょっと語弊があるな。苦手だ。
大体、自分が思い出すものは寂しいものが多いけど、なんだか夏は格別だ。