感冒

久方ぶりに風邪を引いた。

鼻水がだらだら垂れてくるとなぜか目もしょぼしょぼして咽喉がいがいがする。典型的な風邪の症状で、これはいけないと思うと余計に風邪を自覚してしまうので、気の迷いだと思って自分に言い聞かせ、できるだけ睡眠をとるように心がける。でも、睡眠をとることによってそれは風邪を引いたと認めるようなものなので、結局気の迷いでないと証明してしまって、そこから風邪がひどくなることが多い。誰かが、寝不足と寒さと空腹が重なると体調を崩すのだと言っていたけれど、今の自分がまさにそれだったので、衣食住って大切なんだなと、そんな抽象的な意味が込められているわけではないであろう言葉に感銘を受けたりする。

風邪を引くと、まさに泥のように眠ってしまう。普段は理性もしっかりしていてあれをやらなきゃこれをやらなきゃ仕事はどうだとかそういうことを延々と考えながら寝床につくので、寝ても緊張しているのだと思う。けれど、風邪の時はそういう思考を超越して体が本当に睡眠を求めているわけで、ゆえに布団と一体化したように寝てしまうのだった。どろりと体が溶けて、湿りを伴った温かさの中で私はどんどん溶けていく。少し緑がかった、たとえば粘土質の土を水に溶かしたような風で、どろどろと布団にしみこんでいく。夢うつつで目を覚ましても自分が泥になっていると思い込んでいるので目は開けない、というか、開く必要がない。ただただ、意思もなく、泥として眠る。そういうとき、体の不調とは反対に心はとても穏やかだ。私は誰にも乱されることなく、溶けている泥なので。フラスコやビーカーの中で揺蕩うことはなく、柔らかな布団の上に延々と広がっていく。

意思もなく、ただ滔々流れるように眠る。とても楽だ。いつもは私のことを責めたてているように見えるもろもろのことが、その時ばかりは優しく思える。丸い電気カバーや、壁に飾ったポストカード、化粧品の入ったカラーボックス、置きっぱなしになった腕時計。

おそらく、ひそりとそこに息づく、何かの、いのちに敏感になっているのだろうと思う。風邪を引いたときは、そういう何かの囁きに耳を澄ませる。