罪状は

会社の慰安旅行の風習がまだ残っていて、この土日に広島へ行ってきました。
そのことを、どうにか書き記したいのだけれど、どうしてだか言葉が一切でてこない。
出てくるのは、この土日に親も遠出していたために、誰もいない家に荷物をかかえて帰ってきた自分のむなしさだけだ。楽しかった記憶もあるのに、どうしても、真っ暗な家に帰りつき、荷物をとき、湯を沸かし、味の薄いほうじ茶をすする、肌寒さだけだ。ただ無気力に、テレビを見ている。音ばかりを空っぽの頭に響かせて。

もしも、親がどちらも死んだとして、私は毎日真っ暗なこの家に帰ってくるのか。もしも、恋人と別れたとして、旅行の楽しみも分かち合えないまま、帰宅の夜を過ごすのか。もしも、友人が皆私に愛想を尽かしたとして、ただ自分にだけ買ってきた土産を机に並べるのだろうか。

こういうことばかりが頭を巡る。幹事はあんなに頑張ってくれたのに、楽しいこともあったのに、覚えていないなんて、罪深いと思う。
いつもはあんなに遠ざけたいと思う他人のことも、今は恋しい。恋しくてたまらないのだ。それはまた、罪深いことだと思う。罪深いことだと思うのに、そういう少しの罪は私を安心させる。

こんな私は罪深くなくてはならない。そうして、だから、罪を負っているから、わかっているから、わかっている聡明な私を一人にしないでほしい。