書くことについて

タイトル、って、難しい。こんな大それたタイトルをつけてしまうとタイトルだけでひとつの完成品になってしまうから、タイトルと本文合わせて完成品になる、というバランスは非常に、難しい。私が、嫌いな人に笑顔で対応する方が、まだ簡単な気がする。

ずっと、自分が何かを書く、ということについて考えたり考えなかったりする。でも、考えている時点で、考えなかったことにはならない、ので、私はそれなりに書く、ということについて考えてはいる。でも、考えるからと言って、答えが出ることとはまた、イコールではないのでまた、それも、難しいのです。

書く、というと、私にとっては小説が一番に思い浮かぶわけだが、はたして自分が書いているものが小説なんだろうか、というのはもう、ずぅっと疑問です。はたから見れば小説、というもの、なのだろうけど、私は小説という高尚なものを自分が書いている気がしていなくて、なので、小説書いてます、といって、自らを名乗ることに抵抗がある。

とか、私はこういうものを表現したいから書いてるんです、とか、コミュニケーションのツール、とか、なんかそんな、理由を、書くことにも与えられなくて、よく苦悩してしまう。
そりゃ昔は、こういう話が書きたいから、とか、私にとっての小説とは、なんてことを言葉にして誇らしげに掲げることができた時代もありました。けれども、今は、どんな理由もなくて、ただなんだか、書きたいことを書いているだけで、つまり特に意味はない。
でも、何かを書くということの業の深さは、よく感じている。業が深いというか、沼だと思うのは、たとえ自分のためだと書いていても、それを誰かに見て欲しいと、思ってしまうこと。見てもらって、反応を喜ぶこと。醜くも感じつつ、それが結局本当なのだろう。
自分の中で堂々巡りをいつもくりかえしている。だからって、別に、すとんとどこかに落ち着くわけでもないし、出ていってくれるわけでもない。ただ、ただ、そこにいるだけ。ただ、ただ、生まれてくるだけ。

許して、ください。