私の人生

私の人生、どこにあるのだろう。どこにあったのだろう。いや、でも、今私が生きているこの場所が私の人生だ。そんなことは当たり前にわかっている。わかっているからこそわからなくなる。ある意味でのゲシュタルト崩壊みたいなものなのか、そうなると定期的に私の人生ってゲシュタルト崩壊していることになる。

最近とみにふわふわ生きている。ふわふわ生きすぎて大丈夫かと、ふわふわしている自分自身が心配になるほどふわふわ生きている。大丈夫なのか。こんな風にふわふわ生きていて。私は。と思うが、ふわふわ生きているのでやっぱりふわふわしてしまう。またもやゲシュタルト崩壊だ。

別にやりたい仕事があるわけではなかったし、いや、正確に言うとあったのだけどまったく雲をつかむような話で、雲のつかみ方がわからなかった私はふわふわしないために、やりたくないけどまあやりたいと思えるようになるかもしれない仕事についた。が、やっぱり別にやりたくない。やらずに済むならやらないで生きていきたい程度の仕事だ。目が笑っていない上司と、目が笑っていない先輩と、疲れ切った後輩たちに囲まれて、私だけが胸の中にまだまだ元気を隠し通し、誰よりも早く帰って疲れ切った夫のごはんを作る。どんな人生だ。
残念ながらゲシュタルト崩壊を起こすほどには頭もまあまあ生きているので、新婚だからしあわせだねと言われるたびにぶん殴ってやろうかと思うときも結構ある。ままある。でも、殴らない。頭はまあまあ生きているので。

結局整然としていないときは何をしたって整然としないので、知らんふりしてふわふわしておくべきか。