騒音

たまにどうしても人を傷つけたいと思うことがある。傷つけたいというか、あなたのいってることは好きじゃない、と意志を表明したい思うこと。かな。この気持ちがどういうものかを説明するのが上手くできないので、だからきっと、私はこういう気持ちになるのかもしれない。相手が何か悪いことをしているわけでもないのに、そんなのうのうときらきらとしてるんじゃねえ、と、私は思う。僻みという一言で片づけられるかもしれないけれど、僻みという一言はちょっとあんまり、しっくりこないです。

でも、同時に、自分を傷つけたいと願うことと同じだなとも思う。言った言葉は大抵相手には届かないので、自分にブーメランになって帰ってくる。そうすると、自分に穴が開く。穴をふさぎたい。穴は、誰かを傷つけることでしかふさげないと思っている。でもそんなことがあるわけないのもわかっている。でも、誰かを罵倒したい。誰かを泣かせたい。でも、いつも、泣いているのは自分だ。どうしたって、何をしたって、いつも向き合わざるをえないのは、自分なんだ。騒音は、いつも自分の中からうまれて自分の中へと帰っていく。

私の中はいつも、騒音被害で溢れている。誰も解決なんかしてくれない。自分ですら、解決方法が見つからない。みんな、ごめんなさい。私のために傷ついてほしい。でも、傷つかないでほしい。あなたたちに向ける牙は、弱く、もろい。あなたたちに牙を向けたところで、その牙はすぐに砕けてしまう。でも、そうとわかっていても、牙を向けずにはいられないのだ。あなたたちのことが嫌いだから。大嫌いだから。でも、どうしたって、好きだから。