ただ生きている

午後からお休みをもらって、同僚と買い物に行った。お休みして、何するの、と上司に尋ねられたので「○○さんと買い物です」と言ったら「たまにはゆっくり心の洗濯してきてね」と言われた。まごまごしてしまって、えへへ、と笑った。笑うしかできなかった。疲れているんでしょう、とか、ゆっくり休みなさい、とか、そういうことを言われるとどうしていいのかわからなくなる。私、疲れているような雰囲気だしていましたか。嫌な思いをさせてごめんなさい、と反省する。自分ばかりが大変だと思わせるような人になりたくないので、そんなことを思わせたかと焦ってしまう。だから「いつもゆっくりしてますよ」とか「そんな頑張ってないです」と答えるけど、それはそれで強がっているように捉えられるし、人によっては「じゃあもっと頑張れよ」と言われるので言わなきゃよかったと後悔する。どうしたって追いつめられるやり取りは嫌いだ。

えへへと私が笑ったあとに、上司が続けて「僕は悩みがあると海を見に行くんだよ。ぼうっとして一日眺めて気が済んだら帰ってくるんだ」と言った。終日、海を見続けられるのはよくわかるけれど悩んでいるときに見たいものではないな、とも思った。悩んでいるときに海なんか見たら死んでしまうような気がした。茫洋とした母なる海は、何をも否定しないがきっと何をも許してくれない。きらきらと弾む波間によわっちい悩みが入る隙間はない。海は好きだけれど、私だったら穏やかな心持ちに行くだろうな。自然はいつも、私を寂しくさせるから。

じゃあ、悩んでいるときって何をしてるだろうと思っても、何にも思い浮かばない。悩んでいることは苦になるけれど、嫌いじゃないからかもしれない。

普通に朝起きてちょっと化粧が面倒になりながら化粧して、髪の毛を整えて仕事に行く。悩みはあっても仕事はしなければならないし、ご飯も食べる。ちょっと遠いショッピングセンターに買い物に行って、でも遅くなるまで家に帰ってきて冷めた味噌汁をすすってちょっと悲しくなって、お風呂に入ってほうじ茶をすする。そして、寝る。悩み続ける。悩んだって、ただ、生きている。特別なことは、きっと、特別じゃないかぎり、何もしない。ああ、でも、ちょっと熱めのお風呂に入ってちょっと目を閉じるかも。そうすると、いやなエキスがじわりと毛穴から出て行く気がする。悩みは解決しないけれど、風呂上りの蒸気立ち上る自分の体は好きだ。好きになれる。そうして悩みよりも好きなものを見つける。そうして毎日の繰り返しの中で何かがほどける。それってすごく、ほっとする。私はきっとただそんな風にしてこれからも生きていくんだろうなあ。途方もない時間を、ただ生きるんだろうなあ。